
愛知保険医新聞刊
九・一一WTCの同時多発テロで全米・全世界は震撼した。南北戦争以後、大日本帝国による真珠湾奇襲を除いて米国本土での戦争による殺傷はなかった。ブッシュとブレアは、イスラム世界と非イスラム世界の対立の構図を仮想し「テロとの戦争」を口実にイラク侵攻を開始した。フセインを捕え殺害したが、結局大量破壊兵器は発見されなかった。ブッシュは「フセインを抹殺したのは正しかった。あのような人物であれば、大量破壊兵器を作ったに違いない」と根拠なき侵攻を正当化した。
二〇〇七年リバプールで、イラクで戦死した兵士フランキーの葬儀が行われた。その葬儀に参列した親友ファーガスは、戦死した当日、“大事な話がある”との伝言を受けていた。フランキーは、イラクで最も危険な地域“ルート・アイリッシュ”で車が炎上し、帰らぬ人になった。葬儀の場で知人から、フランキーの残した手紙と携帯電話を受け取ったファーガスは、携帯電話に保存されていた画像の翻訳をイラク出身のハリムに依頼。そこに映っていたのは、罪のない二人の少年が銃殺される場面で、撃ったのがイラクにいた兵士ネルソンだと知ったフランキーは激怒した。それを見たファーガスはフランキーの死に対して不信感を抱く。フランキーをイラク戦争に誘ったのは戦争ビジネス企業だった。女子供の命を奪った戦争犯罪を徹底究明するファーガスの執念は、人間の尊厳を貫こうとする良心と同志愛であった。
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