中日新聞朝刊 2006.07.07
1998年のアカデミー賞をご記憶でしょうか。主要部門を独占する勢いだった「タイタニック」を押しのけ、主演男優賞・女優賞をダブル受賞したのが「恋愛小説家」のジャック・ニコルソンとヘレン・ハント。映画史に輝く中年カップルです。
主人公は、恋愛小説の大家でありながら、異性との付き合いはまったくだめ。しかも、強迫性障害による独特の行動パターンの持ち主です。強迫性障害とは不安障害の一種で、完全主義が高じて石橋をたたいて渡れない不適応状態に陥ります。
この小説家は、他人の触れたものに自分の手が触れると不潔恐怖にとらわれ、何個もせっけんを使って1時間も手を洗ったりします。外出時は戸締まりを何度も確認しないと気が済みません。外食する時は、専用のスプーン、フォーク、ナイフを持参する始末です。おまけに、毒舌家でわがままなため、周囲の人たちから嫌われ、いつも孤独です。そんな彼が、行きつけのレストランのウエートレスに惚(ほ)れ、不器用な中年男の恋物語が進んでいきます。
恋の行方については、ぜひ作品をご覧になっていただければと思いますが、その際にチェックしていただきたいのは小説家が飲む薬です。この薬は、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)といい、うつ病や強迫性障害に有効な薬です。かつての精神分析療法などに代わって、不安障害の治療に広く使われています。
エゴイストだった小説家はウエートレスとの出会いをきっかけに、他人への気遣いができる人間に成長しました。女性のひたむきな優しさに癒やされたのか、お薬が後押ししたのか、愛を獲得する脳内の変化は良く分かりません。
強迫性障害は、およそ200人に1人が発症すると推定されています。高度情報化社会は、その病理が現れやすい社会です。完全主義の怖さを自覚し、時に大胆に、時に慎重に、状況をわきまえて柔軟に対応できる現代人になりたいものです。
Comments