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知的障害者の純朴さ・実直さ

朝日新聞朝刊 1998.11.28


 生まれつきの障害のある子供のいる家族のストレスは並大抵ではない。身体異常に加えて精神発育遅滞(知的障害)があるダウン症などの親は、一度は親子心中を考えてしまうほど、深刻な現実を重ねる。


 健康だった人が脳卒中で倒れ、半身まひになるなどの中途障害も含め、いったん障害を抱えると社会生活上の困難は急に大きくなる。


 映画『ギルバート・グレイプ』(1993年)で、レオナルド・ディカプリオは知的障害の少年を演じている。主演の兄役は、彼が今も兄貴分として慕っているジョニー・デップだ。レオ君は、高いところが好きで、町の給水タンクに登って何度も大騒ぎになり、ついに警官に身柄を拘束される。


 夫の自殺以来の過食で「鯨のような巨体」になった母親が7年ぶりに自宅を出て、「私の子を返せー」と警察に怒鳴り込む。町の人たちの好奇の目にさらされながら、一家はレオ君を連れ帰る。


 兄は妹たちと一緒に、そんな弟や母を「いつも悲しいのか嬉しいのかわからない表情」で支え続ける。


 現状では、知能指数(IQ)80以下は病気とされ、60以下は知的障害とされる。20下がるごとに、軽度、中等度、重度と区分けされる。


 中等度の知的障害とみられるレオ君が引き起こす「事件」といえば、タンク登り騒動ぐらい。捜査当局が手を焼く贈収賄や脱税などの「知能犯」とは根本的に異なる。彼のみせる人なつっこさや優しさに比べて、IQの高い人は得てして利己的で冷たい。


 『ギルバート・グレイプ』には、障害者が社会で生きることの意味、家族の絆(きずな)、母の存在、兄弟愛、周囲の支えのたいせつさなど、多くを教えられる。


 巧妙さより純朴。かけひきより実直。微妙に揺れる人の心を、優しさの方に導いてくれる映画だった。

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