中日新聞朝刊 2006.07.28
映画の歴代ベストテンを選定すると、必ず上位に入るのが「市民ケーン」(1941年、アメリカ)。実話を基に、権力と名声を求めてやまない男の孤独を描いた名作です。二十五歳のオーソン・ウェルズが、脚本、監督、主演の三役をこなしました。
冒頭は、新聞界に君臨したケーンが息を引き取るシーン。いまわの際に「バラのつぼみ」という言葉を残したことから、その謎を解くために記者たちが関係者を訪ね歩き、彼の生涯が浮き彫りになっていきます。
ケーンは、貧しい両親の元で育ちました。しかし、思わぬことで母親が大金持ちになり、母親は暴力的な夫から息子を守るために後見人の銀行家にケーンを預け、親子は離ればなれになります。
大人になり、大金を相続したケーンがまず手がけたのは、つぶれかけた新聞社のオーナーになることでした。「品位よりもスキャンダル」の紙面を打ち出して大成功を収めます。
才覚だけでなく、ライバル紙の記者を引き抜いたり、意に沿わぬ政治家を攻撃したりと、強引さも人一倍。大統領の姪(めい)と結婚し、政界進出も目指しますが、不倫スキャンダルで夢を絶たれ、家庭も崩壊します。
二度目の妻は、不倫相手だった売れない歌手。妻の夢をかなえようと、オペラハウスを建てて主演させたり、豪華な宮殿を購入して美術品で埋め尽くしたりしますが、結局、夫婦関係は破局に向かいます。「愛しているんだ。出て行かないでくれ。」とすがるケーンに、「困るのはあなたで、私がどうなるかは関係ないんでしょ」と拒絶した妻の言葉はリアルでした。
ケーンのようにごう慢で、周囲の人間を傷つけてしまう人は、今なら「自己愛性パーソナリティー障害」と診断されそうです。幼少期の愛情不足と関連が深いとされる病理です。 ケーンが言い残した「バラのつぼみ」はラストシーンで、子ども時代の思い出の品であることが暗示されます。幸福は、権力や富ではかなえられないものがある。現代にもつながるテーマです。
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