朝日新聞朝刊 1999.5.29
忙しくて残業が続いた五十代の男性技術者は、家路につくと急にめまいに襲われた。アッと言おうとしたが、言葉が出なくなり、ズキンと頭痛を感じた。寒い中でバスを待ったが手足が思うように動かず、立っていられなくなった。タクシーを止めて自宅に向かうが、ますます様子がおかしい。行く先を救急病院に変え、着いた時には意識を失っていた。 救急治療室(ER)で処置や頭部CT検査を受け、動脈瘤(りゅう)が破裂しかかっているとわかり、脳外科に入院した。 近年の脳外科治療の目覚ましい発展の一つに血管内手術がある。大腿動脈からカテーテルを入れ、腹部胸部大動脈、頸(けい)動脈を経て病巣に達し、動脈瘤に金属を入れて瘤を閉じてしまう方法で、無事手術を終えた。医療技術の領域でミクロ化の夢とロマンが現実のものになりつつある。 1966年公開の映画『ミクロの決死圏』は、治療チームを潜水艇ごと縮小し、脳内の血管を通って病変にたどり着き、レーザーで出血病巣を修復して、無事生還するSFだった。治療のためでも、体外から侵入すれば「異物」だ。排除しようと襲ってくる白血球との闘いが印象的だった。 87年には、スピルバーグ監督がプロデューサーの一人になって、この作品と007シリーズを合わせてパロディー版にした『インナースペース』が制作された。ウサギの体内で実験をするはずだった潜水艇が、ミクロ化技術の争奪戦に絡むトラブルから、人の体内に入ってしまうドタバタ劇だった。 動脈瘤の男性は、再発もなく仕事に励んでいるが、忙しいと再発作が心配になる。抗不安薬や睡眠薬を利用しているのが不安になり、相談に訪れた。どんなに画期的な治療法ができても、再発予防の養生を怠ると、心臓や脳の血管は塞栓したり切れたりする。肝心なのは、やはり自己管理であり、早期発見だ。
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