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苦しい現実、逃げたい時も

朝日新聞朝刊 1999.11.13

 下請けのさらに孫請けの悲哀か、ある町工場が不況の中で倒産した。中年の社長は酒浸りの日々で肝臓を悪くし、意識を失ったりけいれん発作が出たりするようになった。一にも二にも仕事が生きがいだった。ひと仕事終えてからの酒が楽しみで、業界の付き合いと称して、知人とおいしいものを食べにいったり、家庭が壊れない程度にギャンブルもしたりしていたようだ。妻や娘がいたが、ほとんど家庭を忘れた夫だった。  フランス映画『しあわせはどこに』(1995年)は、中小企業の社長のストレスから始まる話だ。経営するトイレ用品工場は従業員のストライキに悩まされ、家では派手好きで見えっ張りの妻と娘に相手にもされない。古くからの友人と食事をしている最中に、ストレスがたまっていたのか突然、脳卒中で倒れ、入院する。このあたりから人生観が少しずつ変わってくる。  テレビの尋ね人番組で、田舎にすむ女性が探している二十六年前に失そうした夫が、自分にそっくりだったことから、田舎を訪ねて、そのまま夫役になる。フォアグラづくりの農家でのんびりと暮らし、生き返ったように感じる。フーグ(遁走(とんそう))という病理だ。  妻と娘と工場は、友人が後を継いで面倒を見てくれている。自分も幸せ。その上、多額の「資産」までわき出してくる。男の身勝手な夢が実現したようなストーリーで、フランスではロングランになった作品だ。  不況はまず中小零細企業を直撃する。町工場の社長も悲惨だが、気楽だったはずの大企業の社長も、リストラの波に洗われている。映画のように、少しでも気分が明るくなる方法はないものか。  宇宙と並んで、限りなく未知なる世界が脳だ。二十世紀最後の十年は、米国では「脳の十年」と位置づけられ、心と脳の関係について解明する試みが続いている。欧州や日本でも数年遅れで取り組みが始まってはいるのだが。

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