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暦の節目、新たに生きよう

朝日新聞朝刊 1999.12.18

 1000年代も残り二週間足らず。一年余り続いたこの連載も最終回。さみしいような、一つのけじめになりそうな、奇妙な気分だ。  この数年の映画には『アルマゲドン』『インディペンデンス・デイ』のように終末に直面した世界を描く流れがあった。ところが今年の話題作『マトリックス』は舞台を一気に二百年先に飛ばせてしまった。コンピューターによる仮想の世界が実は現実で、現実だと思っていた世界が仮想かも知れないという複雑な話だった。窒息しそうな暗い時代に、救世主を探し求める筋立てだった。  精神科医をしていると、キリストの再来だという方や、地球の危機を救うように啓示を受けたという方など、たくさんの「救世主」にお会いする。だが、さすがに二百年先の筋を生きている人はいなかった。生きられる時間や空間を超えられないという点で、意識が社会的諸関係に規定されていることがよく分かる。  暦や時刻は人が作ったものだが、時間や空間は意識の外に客観的にあるのだ。  1999年12月30日と31日の二日間を描いた作品がある。題もずばり『ストレインジ・デイズ』(1995年)だ。犯罪が渦巻き、警察も腐りかかっているロサンゼルスで、他人の体験を自分の脳で追体験できるディスクが流行している。人気があるのは殺人やレイプを題材にしたディスクだ。今の状況にどこか似ている。  終末観漂う混迷した局面を打開したのは、強くて優しい女性の「献身」だった。2000年を迎えた瞬間、人々がわきたち、街頭が紙吹雪に包まれる映像が見事で、こういう感動なら何度でも体験したいと思わせる作品だった。   暦が生まれ変わる時にできること。それは新たに生きようとする決意だ。救世主じゃなくても、これならできる。

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