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戦争で傷つかぬ心は対象外

朝日新聞朝刊 1999.7.24

 戦争による極限状況を体験した人々の心理を検討し、欧米では、戦争神経症とか砲弾ショックという病名が提唱されていた。現在の外傷後ストレス障害(PTSD)の前駆的な研究だった。  PTSDは、生死にかかわる恐怖を体験したり目撃した後、心が傷つき、不安、不眠、悪夢などが表れる病態だ。1980年に米国精神医学会が診断統計マニュアルで定義し、診断基準が確立した。  その二年前、米国ではベトナム戦争を題材に、この障害を扱った映画『ディア・ハンター』が封切られた。ベトナム帰還兵の症例が、研究を推し進めた側面もある。90年には同じ題材で『7月4日に生まれて』が公開された。  日本では95年の阪神大震災、地下鉄サリン事件、翌年のO(オー)157による集団食中毒の発生などで一気に知られるようになった。  『ディア・ハンター』は、捕虜になって強制されたロシアンルーレットによる死の恐怖が原因で、密林からサイゴンに戻っても、自分のこめかみに向けて引き金を引き続ける友人を、ロバート・デ・ニーロが救おうとする。『7月4日』は、村民虐殺に巻き込まれ、味方を誤殺し、下半身不随になって帰国したら、反戦運動にさらされたトム・クルーズが徐々に自己を取り戻していく過程を描いている。  ハリウッドは、大スターに戦争で傷ついた心を演じさせた。邦画では「戦争と人間」や「二十四の瞳(ひとみ)」にそういう場面が含まれてはいるが、正面から戦争で傷付いた心を取り上げた作品は覚えがない。  戦後処理を棚上げにした心の文化ともかかわるのだろうが、「帝国軍人にノイローゼなどいない」という威勢を取り戻した日本はその後、経済成長の道を突っ走った。ベトナム後の米国だって似たようなものだろう。  極限状況にもびくともしない強い精神力を基準にしていたのでは、メンタルヘルスも進歩しない。

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