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異郷の地で働く人々の思い

朝日新聞朝刊 1999.6.26

  ブラジルから来た青年はハイテク工場に勤めていたが、作業中に突然奇声を発し、被害妄想的にもなったため、精神科を受信した。曾祖父(そうそふ)の代に南米に移住し、コーヒー園で成功したが、経済状況の悪化で家族と日本に戻った。  投薬と休養でだいぶ回復し、治療を続けにブラジルへ帰ったが、一年半後にまた来日し再発した。南米も安住の地ではなくなり、移民に出しながら受け入れに拒否的な日本で暮らさざるを得ない。その思いは計り知れなかった。  移民の国アメリカは、今でこそ少数民族を尊重しているようだが、「天使の街」ロサンゼルス(LA)も元はメキシコ人の土地だった。映画『ミ・ファミリア』(1995年)は、LAを舞台にしたメキシコからの移民家族の半世紀の物語だ。  メキシコ革命の後、男は遠い親戚を頼って、一年歩いてLAにたどり着いた。結婚し、サトウキビを育てて生計を営み、六人の子を育てる。  世界大恐慌で職がないのはメキシコ人のせいだと排斥運動が起き、三人目の子を身ごもっていた妻が買い物先で捕まり、市民権があるのに強制送還されてしまう。生まれた次男を連れて二年後、今度は妻が歩いてLAに戻る。  次男は成長して警官に射殺されるが、長男は作家に、長女はレストランのマダムに、次女は修道女から人権活動家に、三男は弁護士になる。次男の死を目撃した四男は、成長して、エルサルバドルに強制送還されそうな娘を助けるために結婚し、やがて父としての苦労を知る。  年老いた父と母は、移民の街、東LAを出て、淡々とサトウキビを育て続ける。どの子も等しく愛していく親の姿が、家族というものを語っていた。地味だが、気持ちが癒(いや)される作品だった。  残留孤児や在日外国人の病気やストレスを受けとめるべく、医療機関もポルトガル語などの通訳や案内を備え始めた。ささやかな進歩だ。

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