精神病ケア、現状は家族頼み

朝日新聞朝刊 1999.7.10

  「地球の底から生まれて来た。破滅しそうな地球を救うために自分は神になった」。妄想型精神病で長期入院中の五十代の男性患者はこう話す。  入院する前は、家業の鉄工所を手伝っていたが、父親が亡くなって工場を閉鎖してからは、仕事に戻る気もない。  「いやそんなことより、人類の未来が心配で仕方がない」と真剣に訴える。妹さんは父の死後、毎週欠かさず面会に来て、一日も早い回復を願っている。お寿司(すし)や季節の和菓子を差し入れ、大好きな缶コーヒーを何十本も持ってくる。地球や人類の救世主ではなく、普通のお兄ちゃんにもどって欲しいと願っている。  映画『男はつらいよ』のフーテンの寅さんの妹さくらは、お兄ちゃんを見守り支えつづける優しい人だ。自由人、寅さんはひょっこり葛飾柴又のおいちゃんの団子屋に戻って来る。最初は歓迎されるが、隣の工場のタコ社長をおちょくったり、かなわぬ恋に悩んでひと騒ぎ起こしたりする。はれものに触るように扱われて居づらくなり、また旅に出る。さくらだけは「お兄ちゃん、また帰ってきてね」と最後まで見送る。  結婚して家庭ができると、家族の世話をするだけでも大変だ。この妹さんのように、遠く離れた病院にいる兄を定期的に見舞うのは、だれにでもまねできることではない。  十五年の歳月が流れたが兄に回復の兆しはない。ちっとも治せない主治医に苦情を言うわけでもなく、次の面会に向けて準備を進めている。  わが国では精神保健福祉法で、精神病患者の家族に長年、保護監督義務を強いてきた。足元もおぼつかない八十過ぎの母親が面倒をみたり、籍が変わった姉妹にも保護義務を課したりしていた。  患者にとって家族の優しさは、かけがえのない支えだ。最近になって徐々に法改正が進んではいるが、それでも家族に頼りがちなのが、わが国の精神病ケアの貧困な現状でもある。

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