朝日新聞朝刊 1999.7.3
欲望が満たされないと不安になるし、富や愛や健康を失うと憂うつになる。世俗の幸福は、何か一つが欠けただけでもストレスになるのが人間だ。とはいえ、不登校で自室にこもっていた若者が突然、解き放たれたように人生の意味や世界の平和を語り出すと、精神科医はドキリとする。「世界没落体験」の症状が出始めたかと思うからだ。 昨年秋に邦訳が出た『僧侶(そうりょ)と哲学者』(ジャンフランソワ・ルベル、マチウ・リカール述、新評論刊)は、人生の意味について、チベット仏像の修行に行く息子と哲学者の父との対話だ。 戦争、飢餓、殺りく、人種差別、環境破壊などについて、科学的発展に失望し「精進」を説く息子の個人救済説に対し、父は、社会は制御できると論を展開する。共に性善説だが白熱した議論だ。 映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(1997年)は、妊娠中の妻を残して三九年、ナンガ・パルパットの初「征服」を目指してヒマラヤに向かったオーストラリアの登山家が、まだ見ぬ息子に静かな気持ちで会えるまでの流浪の年月を描いた。監督は『小熊物語』『愛人(ラマン)』のジャンジャック・アノーだ。 原作者のハインリッヒ・ハラーをブラッド・ピットが演じる。身勝手な行動が目立つ人物だ。隊は登頂に失敗して下山し、英国の捕虜になってインド北部に収容される。ハラーは三年後に脱走し、チベットのラサに潜り込む。 若き日の十四代ダライ・ラマに接見する機会を得て相談相手になるが、息子より少し年長のダライ・ラマに、世俗を超えた人生の知恵を学ぶ。中国のチベット併合で社会制度の変革と宗教的理想との衝突を見て帰国し、五一年に初めて息子に会う。二人で山頂に立つシーンが美しかった。 一個人が何かを悟ったからといって、社会的課題が達成されるわけではないが、大人の成長の可能性について教えられる作品だった。