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院長ブログ


第五十五回 野いちご (1957年 瑞典)
夢は未来を告げるものなのか、それとも人を惑わす幻にすぎないのか。古代より人間は夢の意味を問い続けてきた。イソップ寓話に語られる「正夢」と「逆夢」の逸話は、その曖昧さを象徴している。映画『野いちご』は、名誉と成功を手にした老医師が、ある悪夢をきっかけに自身の人生を振り返る物語である。旅の途中で出会う人々や、よみがえる過去の記憶を通して、彼はこれまで見過ごしてきた感情や人間関係に向き合っていく。夢と現実、過去と現在が交錯する中で、人生の充足とは何かが静かに問いかけられる。孤独と再生を描いたこの作品は、高齢社会を先取りするかのような深い洞察に満ちている。
1月29日


人生は威厳ある老いへの旅
老いは避けることのできない人生の帰結でありながら、多くの人にとって受け入れがたい現実でもある。若さや活力を価値とする社会の中で、老いはしばしば衰えや喪失として捉えられる。しかし、老いとは単なる終わりではなく、これまでの人生を見つめ直し、意味づける時間でもある。野いちごは、老学者が旅の中で過去と向き合い、記憶と現実が交錯する中で自己を再認識していく姿を描く。死を意識するからこそ浮かび上がる人生の本質――老いとは、威厳をもって生を引き受けるための最後の旅路なのかもしれない。
2025年4月10日


最高の人生をあなたと(2011年 仏・白耳義・英吉利)
人生の後半に差しかかるとき、人はこれまで当然のように続いてきた関係や役割をあらためて見直す局面に立たされる。子どもの独立、仕事からの退場、身体機能の変化といった出来事は、静かにしかし確実に「自分は何者か」という問いを突きつけてくる。
映画『最高の人生をあなたと』(2011年)は、長い結婚生活を経た熟年夫婦が、それぞれの内面に生じた空白と向き合う姿を描いている。表面的には安定して見える生活の裏側で、記憶の揺らぎや老いの不安が関係性の歪みとして立ち上がる構造が印象的である。
特にメアリーの「私の人生って何?」という問いは、個人のアイデンティティが家族や配偶関係の中に埋め込まれていたことを浮かび上がらせる。一方でアダムは別の場所で自らの専門性と向き合い、同じ時間を共有しながらも異なる方向へと精神が離れていく。そこにあるのは対立というよりも、人生の局面によってずれていく「関係の再配置」である。
老いとは単なる衰退ではなく、関係性を再定義する時間でもある。この作品は、その再定義がときに痛みを伴いながらも、新たな距離感として再構築されうることを示している。
2025年1月29日


第四十回 悪魔の美しさ(1948年仏蘭西)
人間は若さや欲望に強く惹かれる一方で、老いという避けがたい現実と向き合わなければならない存在である。映画悪魔の美しさは、ファウスト伝説をもとに、若さ・富・愛と引き換えに魂を差し出す人間の姿を描いた作品である。
物語では、老いた大学教授ファウストが悪魔メフィストの誘惑により若返り、青年アンリとして新たな人生を得る。しかし、その代償として魂の契約が彼を支配し、富や力を得ながらも次第に自由を失っていく。ジプシーの娘との愛を軸に、欲望と救済のはざまで揺れる人間の姿が描かれる。
この寓話は、若さへの執着や老いへの恐れだけでなく、人間が人生の各段階でどのように性格や価値観を変化させていくのかを象徴的に示している。老いは単なる衰退ではなく、欲望と経験が形を変える過程でもある。
2024年10月2日


クロワッサンで朝食を(仏蘭西・エストニア・白耳義 2012年)
老いとは単なる衰退ではなく、関係性の再編を迫られる時間でもある。人は年齢を重ねるほど、身体的な自由を失う一方で、他者との距離感や依存の形を見直さざるを得なくなる。映画『クロワッサンで朝食を』(2012年)は、エストニアからパリへ渡った女性と、孤独な老婦人との出会いを通して、「ケアする者」と「ケアされる者」という単純な役割を揺さぶる物語である。
そこでは、親の死を経て空洞化した人生に再び意味を見出そうとする移民女性と、孤高を装いながらも他者を拒みきれない老婦人が、衝突と摩擦を繰り返しながら関係を築いていく。クロワッサンという日常的な食べ物は、単なる嗜好品ではなく、文化・階級・孤独・記憶の象徴として機能する。人は他者なしには生きられないが、同時に他者を受け入れることにも痛みが伴う。その矛盾の中で、わずかな共感が関係の回復を可能にする過程が描かれている。
2018年2月24日
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