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院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


シンデレラマン(2005年 アメリカ)
経済的危機は、個人の努力や才能とは無関係に生活基盤を奪い、人々を社会の周縁へと押しやる。特に世界大恐慌のような歴史的な不況は、失業や貧困を通じて多くの家庭の尊厳を揺るがした。ロン・ハワード監督の映画『シンデレラマン』は、そうした時代に実在したボクサー、ジム・ブラドックの人生を描き出している。一度は故障と不況によってリングを離れ、肉体労働で家族を支える日々に追い込まれながらも、再びチャンスを得て世界王者へと駆け上がる姿は、単なるスポーツ成功譚ではない。それは、失業と貧困という社会的現実の中で、人間がいかに尊厳を保ち直すかという問いでもある。
2025年4月2日


シービスケット(2003年 アメリカ)
1930年代のアメリカ、大恐慌のただ中で、人々は生きる希望のかけらを必死に探していた。映画『シービスケット』は、実在した競走馬と、それを取り巻く人々の物語を通して、経済的困窮と再生の可能性を描く群像劇である。自動車産業の発展によって仕事を失った者、家族を失い心に傷を抱えた者、そして才能を信じられながらも報われない若者たち。それぞれの人生が交錯しながら、一頭の小さな競走馬シービスケットに希望が託されていく。しかしその成功は単なるサクセスストーリーではなく、時代の不安と市場原理の残酷さをも同時に浮かび上がらせる。人は何に救いを求め、何に裏切られるのかが問われている作品である。
2025年3月19日


スティング(1973年 米国)
1930年代のアメリカ、大恐慌と犯罪が渦巻く時代において、暴力ではなく知恵で相手を出し抜くことを“粋”とする詐欺師たちが存在した。映画『スティング』は、そんな知能犯たちの世界を軽妙かつ痛快に描いた作品である。仲間を殺された若き詐欺師が、伝説的なベテランと手を組み、巨大な犯罪組織のボスに挑む。綿密に練られた計画と巧妙な仕掛けによって、大金を巻き上げる復讐劇は観る者に爽快感を与える。しかし同時に、本作は「騙すこと」の倫理的な曖昧さも浮かび上がらせる。弱者を食い物にする詐欺は許されないが、悪人を出し抜く騙しはなぜか快く感じられる――その感情の揺らぎこそが、この作品の核心である。
2025年3月13日


ルート・アイリッシュ(2010年 英吉利、仏蘭西、白耳義ほか)
戦争は国家の論理によって正当化されるが、その現場ではしばしば個人の倫理や良心が深く傷つけられる。とりわけ現代の戦争は、国家だけでなく民間企業も関与する複雑な構造を持ち、責任の所在が曖昧になりがちである。映画 ルート・アイリッシュ は、イラク戦争に従事した民間軍事要員の死の真相を追う過程で、戦争の裏側に潜む暴力と隠蔽、そして人間の尊厳の問題を浮き彫りにする。親友の死に疑念を抱いた主人公は、残された記録を手がかりに真実へと迫っていくが、そこにあったのは正義と呼ぶにはあまりにも重い現実だった。戦争の是非をめぐる議論とは別に、一人ひとりの人間が何を見て、何を許し、何に抗うのか――その問いが突きつけられる作品である。
2025年3月5日


別離(イラン 2011年)
家族は本来、最も強い絆によって結ばれているはずだが、その関係はときに社会的・経済的・倫理的な選択によって引き裂かれることがある。映画『別離』(2011年、イラン)は、夫婦の離婚問題に端を発し、認知症の父の介護、宗教的価値観の違い、経済的困窮といった複数の現実が複雑に絡み合いながら、やがて司法の場へと発展していく過程を描いている。そこでは「誰が正しいか」という単純な判断は成立せず、それぞれの立場にそれぞれの事情と正義が存在することが浮き彫りになる。現代社会において家族の問題は個人の領域にとどまらず、制度や文化、そして偶発的な出来事によって大きく揺さぶられることをこの作品は示している。
2025年2月27日


ピアノマニア(2009年 墺太利・独逸)
人はどこまで「完璧」に近づくことができるのか。その問いは芸術の世界において、極限まで鋭く突きつけられる。わずかな音の違いにこだわり、最後の0.1%を追い求める姿勢は、単なる技術の問題ではなく、人間の集中力や感性、そして限界との対話でもある。
ピアノマニアは、調律師と演奏家が一体となって理想の音を追求する過程を描く。バッハの《フーガの技法》という難解な作品に挑む中で、ピアニストの要求に応えるべく、調律師は楽器選びから微細な調整に至るまで試行錯誤を重ねる。その緻密な作業は、常人には知覚できない領域に踏み込むものであり、「完璧」とは何かを問い直す営みでもある。
しかし、どれほど調律が極まっても、演奏の一瞬の乱れで全体は崩れる。そこには、人間が関わる以上避けられない不確実性がある。この構図は、医療や工学の現場にも通じる。精度を高める努力と、人為的ミスという現実。その間で私たちは、完全性への志向と限界の認識を同時に引き受けて生きている。
2025年2月5日


最高の人生をあなたと(2011年 仏・白耳義・英吉利)
人生の後半に差しかかるとき、人はこれまで当然のように続いてきた関係や役割をあらためて見直す局面に立たされる。子どもの独立、仕事からの退場、身体機能の変化といった出来事は、静かにしかし確実に「自分は何者か」という問いを突きつけてくる。
映画『最高の人生をあなたと』(2011年)は、長い結婚生活を経た熟年夫婦が、それぞれの内面に生じた空白と向き合う姿を描いている。表面的には安定して見える生活の裏側で、記憶の揺らぎや老いの不安が関係性の歪みとして立ち上がる構造が印象的である。
特にメアリーの「私の人生って何?」という問いは、個人のアイデンティティが家族や配偶関係の中に埋め込まれていたことを浮かび上がらせる。一方でアダムは別の場所で自らの専門性と向き合い、同じ時間を共有しながらも異なる方向へと精神が離れていく。そこにあるのは対立というよりも、人生の局面によってずれていく「関係の再配置」である。
老いとは単なる衰退ではなく、関係性を再定義する時間でもある。この作品は、その再定義がときに痛みを伴いながらも、新たな距離感として再構築されうることを示している。
2025年1月29日


だんらんにっぽん -愛知・南医療生協の奇跡-(日本・2011)
医療は専門家だけが担うものではなく、地域に暮らす人々の関わりの中で支えられていく側面を持つ。伊勢湾台風を契機に誕生した南医療生協は、まさにその象徴的な存在である。大規模災害後の混乱の中で、住民と医療者が手を取り合い、診療所から病院へと発展してきた歩みは、単なる医療機関の成長ではなく、地域そのものの再生の歴史でもあった。映画だんらんにっぽん -愛知・南医療生協の奇跡-は、その過程を支えた無名の組合員たちに光を当てる。そこに描かれるのは、効率や市場原理では測れない、人と人とのつながりから生まれる医療のかたちである。受け身の「患者」から主体的な「担い手」へ――住民参加型医療の可能性を問いかける作品である。
2024年11月26日
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