top of page
院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


愛のかたち◆罪深い芸人と天使の旅
男と女の関係には、理屈では説明できない不思議な結びつきがある。映画『道』(1954年・イタリア)は、巨匠 フェデリコ・フェリーニ が描いたロードムービーの名作であり、粗暴な大道芸人ザンパノと、純真な女性ジェルソミーナの旅を通して、愛の本質を問いかける作品である。怪力芸で生計を立てるザンパノは、身勝手で乱暴な男だが、どこか憎めない存在でもある。一方のジェルソミーナは、知的な遅れを抱えながらも、人を喜ばせることに喜びを見いだし、周囲に温かさをもたらす。二人は各地を巡る中で奇妙な絆を育んでいくが、ザンパノは自分の気持ちをうまく表現できず、大切な存在を失ってしまう。やがて彼は取り返しのつかない喪失に直面し、深い後悔に襲われる。愛とは何か、人はなぜ失って初めてその価値に気づくのか。『道』は、半世紀以上を経た今も色あせない普遍的な問いを投げかけている。
6 日前


嫉妬◆相手も自分も焼き滅ぼす
人間関係の中で、もっとも扱いが難しい感情のひとつが「嫉妬」である。映画『アマデウス』(1984年・アメリカ)は、天才作曲家モーツァルトと宮廷音楽家サリエリの対比を通して、この感情の深層を描いた作品である。物語は、老いたサリエリの回想として語られ、自らの才能に限界を感じながらも神に祈り続けた彼が、なぜモーツァルトに対して憎悪と執着を抱くに至ったのかを明らかにしていく。下品で奔放でありながら、圧倒的な音楽的才能を持つモーツァルト。その才能を前に打ちのめされたサリエリは、やがて「神はなぜ彼に才能を与え、自分には与えなかったのか」という問いに囚われ、尊敬は憎悪へと変質していく。嫉妬は相手を傷つけるだけでなく、自らの精神をも静かに蝕んでいく。華麗な音楽とともに描かれるその心理劇は、人間の弱さと業の深さを鋭く照らし出す。
6月5日


鉄人◆難病にも立ち向かった
スポーツ選手の偉大さは、記録だけでは測れない。映画『打撃王』は、ニューヨーク・ヤンキースの伝説的選手 ルー・ゲーリッグ の人生を描いた作品である。ベーブ・ルースとの強力打線で知られ、二千百三十試合連続出場という不滅の記録を打ち立てたゲーリッグは、努力家で誠実な人格者としても愛された。しかし、栄光の絶頂で彼を襲ったのが、後に「ルー・ゲーリッグ病」と呼ばれる筋萎縮性側索硬化症(ALS)だった。身体が少しずつ動かなくなる過酷な難病に直面しながらも、彼は最後まで気品と誇りを失わなかった。引退式典で語った「私は世界で一番幸せな人間だと思っています」という言葉は、病苦の中でも感謝を忘れなかった彼の人間性を象徴している。映画には ベーブ・ルース 本人も出演しており、往年のメジャーリーグの空気も味わえる。病に敗れなかった精神こそが、ルー・ゲーリッグを永遠のスターにしたのである。
5月28日


陽気な挑戦者◆困難もさらり受け止め
失敗しても、笑われても、自分たちらしく挑み続ける。その姿勢が人を成長させる。映画『クール・ランニング』は、常夏の国ジャマイカの若者たちが、冬季五輪のボブスレー競技に挑戦する実話を基にした作品である。陸上競技で夢を絶たれた青年デリースは、新たな目標としてボブスレーを選ぶ。集まったのは皆素人同然の仲間たち。しかし、失敗や冷笑を受けながらも、自分たちの流儀を貫き、仲間との絆を深めていく。厳寒のカルガリーで彼らが得たものは、単なる順位ではなく、「誇り」と「自立」だった。失敗しても、笑われても、自分たちらしく挑み続ける。その姿勢が人を成長させる。映画『クール・ランニング』は、常夏の国ジャマイカの若者たちが、冬季五輪のボブスレー競技に挑戦する実話を基にした作品である。陸上競技で夢を絶たれた青年デリースは、新たな目標としてボブスレーを選ぶ。集まったのは皆素人同然の仲間たち。しかし、失敗や冷笑を受けながらも、自分たちの流儀を貫き、仲間との絆を深めていく。厳寒のカルガリーで彼らが得たものは、単なる順位ではなく、「誇り」と「自立」だった。
5月22日


患者の立場◆本当のつらさが分かる
「医者は病気を経験していないから、患者のつらさは分からないのではないか」――診療の現場で投げかけられるこの問いは、医療の本質に深く関わっている。すべての病を追体験することは不可能である以上、医師に求められるのは想像力と共感であるはずだ。しかし現実には、効率や技術が優先され、患者の心に寄り添う姿勢が後回しにされる場面も少なくない。映画『ドクター』は、患者の痛みを理解できなかったエリート医師が、自ら病を経験することで価値観を大きく変えていく姿を描く。医療とは単なる治療行為ではなく、人と人との関係の中で成り立つ営みであることを問いかける作品である。
2月9日


束縛◆ストレス解消には映画
現代社会は「一億総ストレス時代」ともいわれ、多くの人が日々の生活の中で心身の負担を抱えている。古代ローマの詩に由来し、ピエール・ド・クーベルタンによって広く知られた「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という言葉があるが、現実には体の健康だけで心の安定が保たれるわけではない。むしろ精神的な疲労は身体にも影響を及ぼし、不眠や不調を引き起こす。そうした中で、映画は心を解きほぐす有効な手段となり得る。例えば、男はつらいよの主人公・寅次郎の自由で奔放な生き方は、束縛の多い現代人に一時の解放感と笑いをもたらす。映画は現実から少し距離を置き、感情を揺さぶり、心を整える“癒やしの空間”として、今なお大きな役割を担っている。
2025年7月8日


自己愛◆ごう慢な権力者の孤独
権力や富を手にした人間は、本当に幸福に近づくのだろうか。むしろ、それらを追い求める過程で人間関係は歪み、最終的に深い孤独へと至ることも少なくない。中日新聞で紹介された映画『市民ケーン』は、その典型的な構造を描いた作品として、今なお高く評価されている。
物語の中心人物ケーンは、新聞王として成功を収め、政治や文化の領域にも影響力を拡大していく。しかしその過程で、愛情や信頼といった人間関係は次第に崩壊し、彼の人生は華やかさとは裏腹に空虚さを深めていく。
ケーンの行動は、現代的な視点から見ると「自己愛性パーソナリティー障害」に類似する特徴を持つとも解釈される。幼少期の愛情不足や分離体験が背景にあるとされ、権力や支配への過剰な執着として表れる点が重要である。
映画の象徴である「バラのつぼみ」は、失われた子ども時代の幸福を示唆しているとされ、どれほど成功を積み重ねても埋められない心の空洞を浮き彫りにする。そこには、富や名声では代替できない人間の根源的な欲求が存在していることが示されている。
2025年1月22日


自分らしく◆逆境の中でも誇り高く
人生において、健康、財産、愛する人などの喪失は避けがたく訪れる。そのような逆境に直面したとき、人は何を支えにして生き続けるのだろうか。精神的な回復力は単なる楽観性ではなく、「自分らしく生きてきた」という実感や誇りと深く関係している。
映画『愛と哀しみの果て』は、20世紀初頭のアフリカを舞台に、さまざまな困難の中で自己の生き方を模索し続ける女性の姿を描く。主人公カレンは、文化的制約、病、愛の喪失、経済的破綻といった試練に次々と直面しながらも、その都度、自らの信念と他者への誠実さを拠り所に行動していく。
すべてを失った後でさえ、彼女は他者の権利を守るために声を上げ、その姿勢は周囲の人々の尊敬を集める。そこには、成功や所有ではなく、「どう生きたか」という一貫した姿勢こそが、人間の尊厳を支えるという示唆がある。現代においても、喪失や挫折の中で自分らしさを保つことの意味は大きい。
2024年12月24日
カテゴリー一覧
bottom of page

