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院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


第五十二回 リリーのすべて(2015年 英•米•独映画)
『リリーのすべて』は、トランスジェンダーとして生きる決断をした人物と、それを受け入れようとする妻の姿を描いた物語である。性の自己認識と人間のアイデンティティ、そして理解と愛のあり方を静かに問いかける作品である。
2025年9月26日


熱意見せぬ友 揺らぐ医学生
医師を志す若者は、多くの場合「人の役に立ちたい」という志を胸に医学の道へ進みます。しかし、現実の環境とのギャップに直面したとき、その理想は大きく揺らぐことがあります。価値観の違いや周囲との温度差は、ときに強い葛藤を生み、不眠などのかたちで表面化することも少なくありません。本記事では、一人の医学生の体験と映画の物語を手がかりに、理想と現実のはざまで揺れる心と、医師に求められる本質について考えます。
2025年3月17日


銀幕の少年に見る自立の姿
人はどのようにして「自立」へと至るのでしょうか。親との関係は支えであると同時に、ときに成長を縛る要因にもなります。本稿では、成長を拒む少年を描いた映画を通して、葛藤や自我の確立の難しさ、そして真の自立とは何かについて考えます。
2025年3月11日


仕事と別のよりどころ必要
仕事は人生の大きな柱の一つですが、それだけに依存してしまうと、思いがけない揺らぎに直面することがあります。現代社会では、役割や成果によって自分を評価しがちですが、本来のこころの安定は、より多様な支えの中で保たれるものかもしれません。
本稿では、映画『ファーゴ』を手がかりに、仕事と私生活のバランス、そして「もう一つのよりどころ」を持つことの意味について考えます。
2025年2月6日


最高の人生をあなたと(2011年 仏・白耳義・英吉利)
人生の後半に差しかかるとき、人はこれまで当然のように続いてきた関係や役割をあらためて見直す局面に立たされる。子どもの独立、仕事からの退場、身体機能の変化といった出来事は、静かにしかし確実に「自分は何者か」という問いを突きつけてくる。
映画『最高の人生をあなたと』(2011年)は、長い結婚生活を経た熟年夫婦が、それぞれの内面に生じた空白と向き合う姿を描いている。表面的には安定して見える生活の裏側で、記憶の揺らぎや老いの不安が関係性の歪みとして立ち上がる構造が印象的である。
特にメアリーの「私の人生って何?」という問いは、個人のアイデンティティが家族や配偶関係の中に埋め込まれていたことを浮かび上がらせる。一方でアダムは別の場所で自らの専門性と向き合い、同じ時間を共有しながらも異なる方向へと精神が離れていく。そこにあるのは対立というよりも、人生の局面によってずれていく「関係の再配置」である。
老いとは単なる衰退ではなく、関係性を再定義する時間でもある。この作品は、その再定義がときに痛みを伴いながらも、新たな距離感として再構築されうることを示している。
2025年1月29日


第四十三回 きっとうまくいく (2009年 印度)
イソップ寓話には、自分より秀でた者を侮ると、知らぬ間に更なる困難を招くという教訓が語られています。人の欲望や競争心は、ときに予期せぬ結果を生むものです。
インドの名門工科大学を舞台にした映画『きっとうまくいく』(2009年)は、三人の若者の友情と挑戦を通じて、自由な学びと人生の選択を描いた物語です。トップを目指すランチョーと、劣等感に悩むファルハーンとラージュー。夢や信念に従いながら成長する彼らの姿は、笑いと感動を交えて人生の知恵を浮かび上がらせます。
寓話の教えを手がかりに、この躍動感あふれる映画を振り返ります。
2025年1月9日


オレンジと太陽(英国・豪州 2010年)
歴史の中で語られにくい出来事のひとつに、国家主導の移民政策や家族分断の問題がある。映画オレンジと太陽は、20世紀のイギリスとオーストラリアで実際に行われた児童移民政策を題材に、親から引き離された子どもたちの苦難と、その後の人生を描いた作品である。
社会福祉士マーガレットは、オーストラリアから届いた一人の女性の「母を探してほしい」という訴えをきっかけに、過去に行われた大規模な児童移民の実態を明らかにしていく。調査が進むにつれ、国家や制度の名のもとに多くの子どもたちが家族から切り離されていた事実が浮かび上がる。
ルーツを奪われた人々にとって、「母」とのつながりは単なる家族関係を超え、自己の存在を支える根源的な意味を持つ。失われた記憶と再会への願いは、個人のアイデンティティの回復そのものと重なっていく。
2024年11月24日


第三十八回 偉大なるマルグリット(2015年仏蘭西)マダムフローレンス(2016年英国)
人は自分の声や能力を、必ずしも客観的に把握できるわけではない。特に「音楽」や「表現」の領域では、その自己評価と他者評価の乖離が、しばしば滑稽さや悲劇性を生む。映画偉大なるマルグリットとマダム・フローレンスは、実在の音痴歌手をモデルに、純粋な情熱と周囲の思惑が交錯する人間模様を描いている。
前者では、自身の音痴に気づかぬまま歌う女性が、他者の野心によって舞台へと押し出されていく過程が描かれる。後者では、内縁の夫との強い結びつきの中で、「才能」よりも「信じる力」が前景化されていく。いずれも共通するのは、歌の巧拙ではなく、本人の確信と周囲のまなざしが物語を動かしている点である。
音痴という現象は単なる能力の問題ではなく、知覚・運動・認知のズレとしても捉えられる。そこには人間の自己認識の不確かさと、それでも他者と関わりながら生きる滑稽さと温かさが同居している。
2024年8月4日
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