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院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


第六十四回 男はつらいよ お帰り寅さん(2019年 日本)
「困ったことがあったら風に向かって俺の名前を呼べ。どこからでも飛んで来るから」――。寅さんの言葉は、姿が見えなくなった後も人の心を支える「心の拠り所」の存在を象徴しています。映画「男はつらいよ お帰り寅さん」は、シリーズ50作目として、寅さんの甥・満男を主人公に、人生の節目を迎えた人々の再会と心のつながりを描いた作品です。満男は50歳になり、かつての初恋の人・泉と再会します。娘から「この三日間パパは遠い所に行ってしまったようだった」と言われたことで、自分が過去の思い出に心を奪われていたことに気づきます。イソップ寓話「野生の驢馬と家の驢馬」は、独りで生きることの危うさを描きます。自由に生きる野生の驢馬は、家畜の驢馬を蔑みますが、危機に遭うと誰の助けも得られません。人は完全に独立して生きるのではなく、家族や友人、思い出など、いざというときに心を支えてくれる「帰る場所」を持つことが大切なのかもしれません。
9月4日


愛のかたち◆罪深い芸人と天使の旅
男と女の関係には、理屈では説明できない不思議な結びつきがある。映画『道』(1954年・イタリア)は、巨匠 フェデリコ・フェリーニ が描いたロードムービーの名作であり、粗暴な大道芸人ザンパノと、純真な女性ジェルソミーナの旅を通して、愛の本質を問いかける作品である。怪力芸で生計を立てるザンパノは、身勝手で乱暴な男だが、どこか憎めない存在でもある。一方のジェルソミーナは、知的な遅れを抱えながらも、人を喜ばせることに喜びを見いだし、周囲に温かさをもたらす。二人は各地を巡る中で奇妙な絆を育んでいくが、ザンパノは自分の気持ちをうまく表現できず、大切な存在を失ってしまう。やがて彼は取り返しのつかない喪失に直面し、深い後悔に襲われる。愛とは何か、人はなぜ失って初めてその価値に気づくのか。『道』は、半世紀以上を経た今も色あせない普遍的な問いを投げかけている。
6月12日


ガラスの動物園(1987 米国)
人間の記憶は、時にガラス細工のように繊細で壊れやすい。テネシー・ウィリアムズの戯曲を原作とする『ガラスの動物園』は、大恐慌期のアメリカ・セントルイスを舞台に、現実の貧困と精神的な閉塞の中で生きるウィングフィールド一家の姿を描いた作品である。家族はそれぞれに異なる夢と孤独を抱えながら、狭い空間の中で静かに崩壊へと向かっていく。母アマンダの過剰な期待、姉ローラの内向的な幻想、そして語り手トムの逃避願望。そのすべてが交錯する中で、過去は美化され、現在は重く沈み、未来は見えないまま宙吊りにされている。そこには「生きること」そのものの痛みが静かに刻まれている。
2025年5月14日


適切な助言難しい嫁姑問題
家族という最も近い関係ほど、感情の摩擦は複雑になる。嫁と姑の対立は、単なる性格の不一致ではなく、世代、価値観、そして生活の積み重ねが交差する問題でもある。そこでは「正しい助言」が必ずしも機能するとは限らず、むしろ語ることでしか保てない均衡が存在する。映画フライド・グリーン・トマトは、閉塞した日常の中で抑圧された女性が他者の語りに触れることで、自らの生き方を取り戻していく過程を描く。声を上げることと、誰かの声に耳を傾けること。その間にある揺らぎこそが、家族関係の現実を映し出している。
2025年4月8日


自然との対話 家族のきずな
人は、すべてを理解し合えなくても、深く結びつくことができるのでしょうか。
雄大な自然の中で育まれる家族の関係は、ときにすれ違い、ときに支え合いながら続いていきます。
本作『リバー・ランズ・スルー・イット』は、モンタナの美しい風景とともに、兄弟の異なる生き方と、それを見守る父のまなざしを描いた作品です。
理解できない相手を愛することはできるのか——家族の本質を取り上げます。
2025年3月3日


別離(イラン 2011年)
家族は本来、最も強い絆によって結ばれているはずだが、その関係はときに社会的・経済的・倫理的な選択によって引き裂かれることがある。映画『別離』(2011年、イラン)は、夫婦の離婚問題に端を発し、認知症の父の介護、宗教的価値観の違い、経済的困窮といった複数の現実が複雑に絡み合いながら、やがて司法の場へと発展していく過程を描いている。そこでは「誰が正しいか」という単純な判断は成立せず、それぞれの立場にそれぞれの事情と正義が存在することが浮き彫りになる。現代社会において家族の問題は個人の領域にとどまらず、制度や文化、そして偶発的な出来事によって大きく揺さぶられることをこの作品は示している。
2025年2月27日


病の配偶者、支えられるか
心身の不調は本人だけでなく、最も身近な家族にも大きな影響を及ぼします。特に配偶者が病に直面したとき、その支え手となる側の負担や葛藤は計り知れません。
本稿では映画『こわれゆく女』を通して、支える側の苦悩と現実、そして家族関係について考えます。
2025年2月18日


第四十四回 パパの木(2010年 オーストラリア・フランス合作)
人は、失った存在を完全に手放すことができず、象徴や記憶の中にその姿を見いだそうとする。一方で、この世界に完全なものは存在せず、どんな創造物や制度にも必ず欠点がある。喪失と不完全性という二つの現実の中で、人はどのように生きていくのか。
映画『パパの木』は、突然父を失った家族が、大樹にその存在を感じ取りながら再生していく姿を描く。一方、イソップ寓話集の「ゼウス、プロメテウス、アテナとモーモス」は、あらゆるものに欠点を見出す人間の視点を通じて、完全な存在があり得ないことを示している。両者は異なる形を取りながらも、人間が不完全な現実に意味を与えつつ生きる姿を浮き彫りにする。
2025年2月12日
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