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院長コラム
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院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


嫉妬◆相手も自分も焼き滅ぼす
人間関係の中で、もっとも扱いが難しい感情のひとつが「嫉妬」である。映画『アマデウス』(1984年・アメリカ)は、天才作曲家モーツァルトと宮廷音楽家サリエリの対比を通して、この感情の深層を描いた作品である。物語は、老いたサリエリの回想として語られ、自らの才能に限界を感じながらも神に祈り続けた彼が、なぜモーツァルトに対して憎悪と執着を抱くに至ったのかを明らかにしていく。下品で奔放でありながら、圧倒的な音楽的才能を持つモーツァルト。その才能を前に打ちのめされたサリエリは、やがて「神はなぜ彼に才能を与え、自分には与えなかったのか」という問いに囚われ、尊敬は憎悪へと変質していく。嫉妬は相手を傷つけるだけでなく、自らの精神をも静かに蝕んでいく。華麗な音楽とともに描かれるその心理劇は、人間の弱さと業の深さを鋭く照らし出す。
6月5日


伝わらぬストーカーの病理
執拗な接近や追跡によって、日常が脅かされるストーカー被害。その恐怖は当事者でなければ理解されにくく、周囲に伝わらない孤立感を伴います。本稿では、ストーカーの行動の背景にある心理と、被害者が抱える深刻な不安や負担について取り上げます。
2025年3月12日


「切れる」怖さ、大人にも
近年、「キレる」という言葉は、子どもや若者の問題として語られることが多くなりました。しかし、突発的な怒りや衝動的な行動は、決して子どもだけのものではありません。むしろ大人の中にも、抑えきれない感情が潜んでいることがあります。
本稿では、映画『フォーリング・ダウン』や『プレッシャー』を手がかりに、「キレる」心理の背景にあるストレスや喪失感、孤立について考えます。そして、感情の爆発をどう理解し、どのように向き合うべきかを見つめ直します。
2025年1月23日


自己愛◆ごう慢な権力者の孤独
権力や富を手にした人間は、本当に幸福に近づくのだろうか。むしろ、それらを追い求める過程で人間関係は歪み、最終的に深い孤独へと至ることも少なくない。中日新聞で紹介された映画『市民ケーン』は、その典型的な構造を描いた作品として、今なお高く評価されている。
物語の中心人物ケーンは、新聞王として成功を収め、政治や文化の領域にも影響力を拡大していく。しかしその過程で、愛情や信頼といった人間関係は次第に崩壊し、彼の人生は華やかさとは裏腹に空虚さを深めていく。
ケーンの行動は、現代的な視点から見ると「自己愛性パーソナリティー障害」に類似する特徴を持つとも解釈される。幼少期の愛情不足や分離体験が背景にあるとされ、権力や支配への過剰な執着として表れる点が重要である。
映画の象徴である「バラのつぼみ」は、失われた子ども時代の幸福を示唆しているとされ、どれほど成功を積み重ねても埋められない心の空洞を浮き彫りにする。そこには、富や名声では代替できない人間の根源的な欲求が存在していることが示されている。
2025年1月22日


復しゅう心にひそむ攻撃性
「リベンジ」という言葉が日常的に使われるようになって久しい。報復という行為は、ときに理解可能な動機を伴うがゆえに、かえって人の心に潜む攻撃性を見えにくくしている側面がある。
映画や物語において繰り返し描かれてきた復讐は、単なる暴力ではなく、傷ついた自己愛やプライドの表出でもある。一方で、精神障害に関連する行為には、しばしば動機の理解が困難であり、その攻撃性はむしろ自己へと向かう傾向が強い。
本稿では、復讐という行為の背後にある心理構造を手がかりに、現代社会における攻撃性とメンタルヘルスの関係について考察する。
2025年1月9日


苦しい現実、逃げたい時も
人は、耐え難い現実に直面したとき、どこまでそれを引き受けることができるのだろうか。仕事に生きがいを見出してきた人ほど、その基盤が崩れたときの喪失は大きい。不況や人間関係の軋みは、静かに、しかし確実に心を追い詰めていく。
フランス映画『しあわせはどこに』は、そうした極限状態の中で、ひとりの男が「別の人生」を生きることで心の均衡を保とうとする姿を描く。精神医学でいう「遁走(フーグ)」という現象は、現実からの単なる逃避ではなく、自己を守るための一つの反応でもある。
本稿では、逃避と再生のあいだにある心の働きを手がかりに、現代社会におけるストレスとメンタルヘルスについて考える。
2024年12月24日


第四十回 悪魔の美しさ(1948年仏蘭西)
人間は若さや欲望に強く惹かれる一方で、老いという避けがたい現実と向き合わなければならない存在である。映画悪魔の美しさは、ファウスト伝説をもとに、若さ・富・愛と引き換えに魂を差し出す人間の姿を描いた作品である。
物語では、老いた大学教授ファウストが悪魔メフィストの誘惑により若返り、青年アンリとして新たな人生を得る。しかし、その代償として魂の契約が彼を支配し、富や力を得ながらも次第に自由を失っていく。ジプシーの娘との愛を軸に、欲望と救済のはざまで揺れる人間の姿が描かれる。
この寓話は、若さへの執着や老いへの恐れだけでなく、人間が人生の各段階でどのように性格や価値観を変化させていくのかを象徴的に示している。老いは単なる衰退ではなく、欲望と経験が形を変える過程でもある。
2024年10月2日


第三十九回 オスカーとルシンダ(1997年 米国)・のるかそるか(1989年 米国)
一獲千金の夢を抱かせるギャンブルは、人間の欲望と深く結びついた行為である。今回取り上げるのは、オスカーとルシンダとのるかそるかという対照的な二作品だ。前者は信仰と愛を賭けた壮大な物語の中で、賭博の危うさと人間の執着を描き、後者は競馬に魅せられた男の姿を通して、滑稽さと人間らしさを浮き彫りにする。
賭けに勝てばさらなる欲望が生まれ、負ければ取り返そうとする。この連鎖こそがギャンブルの本質であり、一度のめり込めば抜け出すことは容易ではない。現代ではカジノ構想なども議論されているが、その是非を考えるうえでも、これらの作品は重要な示唆を与えてくれる。娯楽としての魅力と社会的リスク、その両面を見つめる視点が求められている。
2024年9月9日
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