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院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


苦しい現実、逃げたい時も
人は、耐え難い現実に直面したとき、どこまでそれを引き受けることができるのだろうか。仕事に生きがいを見出してきた人ほど、その基盤が崩れたときの喪失は大きい。不況や人間関係の軋みは、静かに、しかし確実に心を追い詰めていく。
フランス映画『しあわせはどこに』は、そうした極限状態の中で、ひとりの男が「別の人生」を生きることで心の均衡を保とうとする姿を描く。精神医学でいう「遁走(フーグ)」という現象は、現実からの単なる逃避ではなく、自己を守るための一つの反応でもある。
本稿では、逃避と再生のあいだにある心の働きを手がかりに、現代社会におけるストレスとメンタルヘルスについて考える。
2024年12月24日


第四十回 悪魔の美しさ(1948年仏蘭西)
人間は若さや欲望に強く惹かれる一方で、老いという避けがたい現実と向き合わなければならない存在である。映画悪魔の美しさは、ファウスト伝説をもとに、若さ・富・愛と引き換えに魂を差し出す人間の姿を描いた作品である。
物語では、老いた大学教授ファウストが悪魔メフィストの誘惑により若返り、青年アンリとして新たな人生を得る。しかし、その代償として魂の契約が彼を支配し、富や力を得ながらも次第に自由を失っていく。ジプシーの娘との愛を軸に、欲望と救済のはざまで揺れる人間の姿が描かれる。
この寓話は、若さへの執着や老いへの恐れだけでなく、人間が人生の各段階でどのように性格や価値観を変化させていくのかを象徴的に示している。老いは単なる衰退ではなく、欲望と経験が形を変える過程でもある。
2024年10月2日


第三十九回 オスカーとルシンダ(1997年 米国)・のるかそるか(1989年 米国)
一獲千金の夢を抱かせるギャンブルは、人間の欲望と深く結びついた行為である。今回取り上げるのは、オスカーとルシンダとのるかそるかという対照的な二作品だ。前者は信仰と愛を賭けた壮大な物語の中で、賭博の危うさと人間の執着を描き、後者は競馬に魅せられた男の姿を通して、滑稽さと人間らしさを浮き彫りにする。
賭けに勝てばさらなる欲望が生まれ、負ければ取り返そうとする。この連鎖こそがギャンブルの本質であり、一度のめり込めば抜け出すことは容易ではない。現代ではカジノ構想なども議論されているが、その是非を考えるうえでも、これらの作品は重要な示唆を与えてくれる。娯楽としての魅力と社会的リスク、その両面を見つめる視点が求められている。
2024年9月9日


ポストを巡る自己愛の病理
人は誰しも評価されたいという欲求を持っている。しかし、その自己愛が過剰になると、他者との比較の中で嫉妬や劣等感を生み、時に人間関係や組織を大きく歪める力となる。映画 アマデウス は、天才 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト と、その才能に苦しむ アントニオ・サリエリ の対比を通して、この普遍的な心理を鮮やかに描き出している。
実力差を認められないプライドは、やがて嫉妬となり、心の内側で増幅していく。現実の社会でも、昇進や評価を巡る競争の中で同様の葛藤は少なくない。表面上は些細に見える「ポスト争い」も、当事者にとっては自己価値そのものに関わる問題である。
このような自己愛の病理は、時に攻撃性や内的な苦悩として現れ、組織の活力を損なう要因にもなる。現代社会において、他者との比較にとらわれすぎず、自分の位置をどう受け止めるかが重要な課題となっている。
2024年6月26日


不倫で悩む人健康?不健康?
現代社会では、不倫は決して珍しい出来事ではなくなっている。しかしその裏側には、強い感情の揺れと制御の難しさが潜んでいる。不倫で悩む人々は、不眠や抑うつといった精神的苦痛を抱え、日常生活に支障をきたすことも少なくない。
映画『危険な情事』は、「一度だけ」の関係が予想外の執着と破壊を生む過程を描き、人間の感情の脆さを浮き彫りにする。本人は軽い気持ちでも、相手の受け止め方によっては関係は一気に深刻化する。
不倫は、羨望や嫉妬、孤独といった感情が交錯しやすい領域であり、日常からの逸脱がもたらす高揚感と同時に、大きなリスクを伴う行為でもある。悩むこと自体は自然な反応ともいえるが、その葛藤の強さこそが、この問題の根深さを示している。
2024年5月15日


第三十五回 アマデウス(1984年米国)
天才と凡人、その差はどこにあるのか。映画アマデウスは、歴史に名を残す音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと、宮廷作曲家アントニオ・サリエリの対比を通して、人間の根源的な感情である嫉妬を鮮烈に描き出す。敬虔で努力家であるサリエリは、自らに与えられなかった才能をモーツァルトに見出し、神への信仰と自己認識の間で葛藤する。品性に欠けるように見えるモーツァルトに神が天賦の才を与えたという現実は、サリエリの心を深く傷つけ、やがて破滅へと導いていく。才能とは努力で埋められるものなのか、それとも越えられない壁なのか。本作は、他者との比較に苦しむ現代人にも通じる普遍的な問いを投げかける。
2024年4月30日


第三十回 キャッチミー・イフユーキャン (2002年 米国)
人はなぜ「本当の自分」ではなく、別の自分を演じてしまうのでしょうか。
映画『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』を手がかりに、本稿では詐欺という行為の裏にある承認欲求や自己演出の心理について考えます。
2023年10月23日


第二十七回 ディアボロス 悪魔の扉(1997年 米国)
映画『ディアボロス 悪魔の扉』(原題:The Devil's Advocate)は、成功と引き換えに魂を試される若き弁護士の葛藤を描いたサスペンスである。無敗を誇る弁護士ケヴィンは、大都会ニューヨークで名声と富を手に入れるが、その裏には抗いがたい誘惑が潜んでいた。仕事に没頭するあまり家庭は崩壊し、やがて彼は真実と虚栄の狭間で重大な選択を迫られる。物語は、悪魔的存在による巧妙な誘いを通して、人間の弱さや欲望を鋭く浮き彫りにする。
成功を追い求めるほどに見失われていく倫理と良心。本作は、誰もが抱える「欲」と「正義」の葛藤を描き、最後に残る選択の重みを観る者に突きつける作品である。
2023年8月3日
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