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院長コラム
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院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


ポストを巡る自己愛の病理
人は誰しも評価されたいという欲求を持っている。しかし、その自己愛が過剰になると、他者との比較の中で嫉妬や劣等感を生み、時に人間関係や組織を大きく歪める力となる。映画 アマデウス は、天才 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト と、その才能に苦しむ アントニオ・サリエリ の対比を通して、この普遍的な心理を鮮やかに描き出している。
実力差を認められないプライドは、やがて嫉妬となり、心の内側で増幅していく。現実の社会でも、昇進や評価を巡る競争の中で同様の葛藤は少なくない。表面上は些細に見える「ポスト争い」も、当事者にとっては自己価値そのものに関わる問題である。
このような自己愛の病理は、時に攻撃性や内的な苦悩として現れ、組織の活力を損なう要因にもなる。現代社会において、他者との比較にとらわれすぎず、自分の位置をどう受け止めるかが重要な課題となっている。
2024年6月26日


不倫で悩む人健康?不健康?
現代社会では、不倫は決して珍しい出来事ではなくなっている。しかしその裏側には、強い感情の揺れと制御の難しさが潜んでいる。不倫で悩む人々は、不眠や抑うつといった精神的苦痛を抱え、日常生活に支障をきたすことも少なくない。
映画『危険な情事』は、「一度だけ」の関係が予想外の執着と破壊を生む過程を描き、人間の感情の脆さを浮き彫りにする。本人は軽い気持ちでも、相手の受け止め方によっては関係は一気に深刻化する。
不倫は、羨望や嫉妬、孤独といった感情が交錯しやすい領域であり、日常からの逸脱がもたらす高揚感と同時に、大きなリスクを伴う行為でもある。悩むこと自体は自然な反応ともいえるが、その葛藤の強さこそが、この問題の根深さを示している。
2024年5月15日


第三十五回 アマデウス(1984年米国)
天才と凡人、その差はどこにあるのか。映画アマデウスは、歴史に名を残す音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと、宮廷作曲家アントニオ・サリエリの対比を通して、人間の根源的な感情である嫉妬を鮮烈に描き出す。敬虔で努力家であるサリエリは、自らに与えられなかった才能をモーツァルトに見出し、神への信仰と自己認識の間で葛藤する。品性に欠けるように見えるモーツァルトに神が天賦の才を与えたという現実は、サリエリの心を深く傷つけ、やがて破滅へと導いていく。才能とは努力で埋められるものなのか、それとも越えられない壁なのか。本作は、他者との比較に苦しむ現代人にも通じる普遍的な問いを投げかける。
2024年4月30日


第三十回 キャッチミー・イフユーキャン (2002年 米国)
人はなぜ「本当の自分」ではなく、別の自分を演じてしまうのでしょうか。
映画『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』を手がかりに、本稿では詐欺という行為の裏にある承認欲求や自己演出の心理について考えます。
2023年10月23日


第二十七回 ディアボロス 悪魔の扉(1997年 米国)
映画『ディアボロス 悪魔の扉』(原題:The Devil's Advocate)は、成功と引き換えに魂を試される若き弁護士の葛藤を描いたサスペンスである。無敗を誇る弁護士ケヴィンは、大都会ニューヨークで名声と富を手に入れるが、その裏には抗いがたい誘惑が潜んでいた。仕事に没頭するあまり家庭は崩壊し、やがて彼は真実と虚栄の狭間で重大な選択を迫られる。物語は、悪魔的存在による巧妙な誘いを通して、人間の弱さや欲望を鋭く浮き彫りにする。
成功を追い求めるほどに見失われていく倫理と良心。本作は、誰もが抱える「欲」と「正義」の葛藤を描き、最後に残る選択の重みを観る者に突きつける作品である。
2023年8月3日


第二十六回 チャンス (1979年 米国)
人はしばしば、自分に与えられているものに気づかず、外にある何かを求めてしまいます。イソップ寓話「ゼウスと動物と人間」は、人間がすでに理性という大きな力を授かっていることを教えています。本稿では、チャンスを手がかりに、無垢な一人の男が偶然と誤解によって社会の頂点へと押し上げられていく過程を描きながら、人間の価値とは何か、そして私たちが見落としがちな「機会」の本質について考えます。
2023年6月29日


第十六回 スティング(1973年 米国)
人間社会には、努力や勤勉さだけでは説明できない「欲望の構造」が存在する。他者の成果を羨み、利益を奪おうとする心理は、時代や文化を超えて繰り返されるテーマである。イソップ寓話「蟻」は、その原初的な形を示している。蟻となった人間は、姿を変えてもなお他者の収穫を盗み続ける存在として描かれ、欲望の本質的な不変性を象徴する。
映画『スティング』(1973年)は、この寓話的構造を詐欺と復讐の物語として精緻に描き出した作品である。騙し合いの連鎖の中で、登場人物たちは「正義」や「復讐」を掲げながらも、実際にはさらに大きな仕掛けの中で操られていく。そこでは善悪の境界すら曖昧となり、知恵と欺瞞が同一平面で交錯する。
こうした構造は現実社会にも重なる。AIJ投資顧問事件のように、巨額の資金が巧妙な仕組みによって吸い上げられ、被害者は回復の見通しも立たないまま精神的なダメージを抱える。詐欺は単なる犯罪ではなく、信頼という社会基盤そのものを揺るがす現象でもある。寓話と映画、そして現実の事件は、欲望と欺瞞がいかに形を変えながら繰り返されるかを示している。
2022年11月7日


第七回 守銭奴
映画『マルサの女』は、脱税を暴く国税査察官の活躍を通して、人間の金銭欲と執着を鋭く描いた作品である。やり手の査察官・亮子は、ラブホテル経営者・権藤の不正を疑い、徹底的な調査に乗り出す。巧妙に隠された資産、偽装された証拠、そして人間の欲望が絡み合う中で、真実が徐々に浮かび上がっていく。
一方、イソップ寓話「守銭奴」が示すように、使われることのない金はただの石と変わらない。本作は、金を蓄えること自体が目的化したとき、人は何を失うのかを問いかける。尽きることのない欲望と、それに翻弄される人間の姿を通して、金と生き方の関係を深く考えさせる作品である。
2022年5月19日
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