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院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


俺たちに明日はない(1967年 アメリカ)
愛と暴力、自由と破滅。その境界が曖昧になる時代において、人間はどこへ向かうのか。映画『俺たちに明日はない』は、1930年代アメリカ大恐慌期を背景に、若き犯罪者ボニーとクライドの逃避行を描いた作品である。彼らは社会から疎外され、未来を持たない存在として、愛と犯罪を同一の衝動の中で生きていく。しかしその自由は持続するものではなく、むしろ加速する破滅へと収束していく。そこには単なる犯罪映画ではなく、時代そのものが生み出した“生き急ぐ若者たちの神話”が刻まれている。
2025年5月28日


ウォール街(米国 1987年)
富は人を自由にするのか、それとも縛りつけるのか。映画『ウォール街』(1987年)は、若き証券マンと伝説的投資家の関係を通して、金融資本主義の本質を鋭く描いた作品である。インサイダー取引や企業買収といった冷徹なマネーゲームの世界では、倫理よりも利益が優先され、成功はしばしば道徳的な境界線を踏み越えることで成立する。イソップ寓話や大恐慌を背景に描かれる他の物語群と同様、本作もまた「人間は何のために働き、富を求めるのか」という根源的な問いを投げかけている。欲望に飲み込まれた個人が、どの地点で自らを取り戻すのかが、作品全体の核心となっている。
2025年5月8日


ゴッドファーザー(1972年 アメリカ)
権力は合法と非合法の境界を越えながら維持されることがある。映画『ゴッドファーザー』(1972年 アメリカ)は、シチリア系移民社会を背景に、マフィア組織の家族的結束と権力継承の構造を描いた作品である。そこでは暴力は単なる犯罪行為ではなく、秩序を維持し、交渉を成立させるための手段として機能している。イソップ寓話に見られるような「支配と報い」の構造とも響き合いながら、本作は血縁・忠誠・裏切りといった人間関係の本質を浮き彫りにする。大恐慌後の社会不安という歴史的背景の中で、国家と並行するもう一つの秩序が静かに成立していく過程が描かれている。
2025年4月23日


武器なき斗い(1960年 日本)
暴力に対して人は何で抗うことができるのか。映画『武器なき斗い』(1960年 日本)は、治安維持法下の弾圧という重圧の中で、信念と理想を武器に闘った一人の知識人の生涯を描く作品である。科学者として出発した主人公は、社会の不条理と向き合う中で政治の場へと歩みを進め、やがて言論による抵抗を選び取る。だが、その言葉は権力にとって脅威となり、ついには暴力によって封じられる。イソップ寓話が示すように、正しさが必ずしも守られるとは限らない現実の中で、本作は「声を上げること」の意味と代償を問いかける。歴史の中に埋もれがちな個の闘いが、現代にも通じる問題として浮かび上がる。
2025年4月16日


ひとりぼっちの青春(1970年 アメリカ)
努力すれば報われる――そんな前提が崩れ去るとき、人は何を支えに生きるのか。大恐慌下のアメリカを舞台にしたひとりぼっちの青春は、極限状態の中で生きる若者たちの姿を通して、希望の脆さと現実の残酷さを描き出す。昼夜を問わず踊り続けるマラソン・ダンスという見世物は、単なる娯楽ではなく、貧困と絶望に追い詰められた人々の生存競争そのものである。そこでは努力や忍耐すら搾取の対象となり、人間の尊厳は容易に踏みにじられる。夢や成功を信じることさえ過酷な時代において、人間はどこまで自分を保てるのか――その問いが突きつけられる。
2025年4月10日


「逆境」対策に周囲の支えも
いじめや虐待、孤立といった逆境体験は、個人の心に深い傷を残すことがある。その影響は一時的なストレスにとどまらず、不登校や引きこもり、自傷行為など、長期的な生活機能の低下へとつながることも少なくない。しかし、同じような逆境を経験しても、回復に向かう人とそうでない人が存在する。その差を生む要因の一つが「周囲からの支え」である。スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『カラーパープル』は、暴力と抑圧の中に置かれた女性が、わずかな人間関係のつながりを支えに再生していく過程を描いている。逆境そのものを消すことはできなくとも、それを乗り越える力は関係性の中で育まれることが示唆される。
2025年4月4日


スティング(1973年 米国)
1930年代のアメリカ、大恐慌と犯罪が渦巻く時代において、暴力ではなく知恵で相手を出し抜くことを“粋”とする詐欺師たちが存在した。映画『スティング』は、そんな知能犯たちの世界を軽妙かつ痛快に描いた作品である。仲間を殺された若き詐欺師が、伝説的なベテランと手を組み、巨大な犯罪組織のボスに挑む。綿密に練られた計画と巧妙な仕掛けによって、大金を巻き上げる復讐劇は観る者に爽快感を与える。しかし同時に、本作は「騙すこと」の倫理的な曖昧さも浮かび上がらせる。弱者を食い物にする詐欺は許されないが、悪人を出し抜く騙しはなぜか快く感じられる――その感情の揺らぎこそが、この作品の核心である。
2025年3月13日


企業内セクハラ、日米で違い
何気ない一言や態度が、相手に深い不快感や苦痛を与えることがあります。セクシュアル・ハラスメントは、単なる個人の問題ではなく、職場における力関係や組織の風土と深く結びついています。
本稿では、映画『ディスクロージャー』を手がかりに、日米におけるセクハラの捉え方の違いと、その背景にある社会構造や意識の差を見つめ直します。
2025年2月14日
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