top of page
院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


だんらんにっぽん -愛知・南医療生協の奇跡-(日本・2011)
医療は専門家だけが担うものではなく、地域に暮らす人々の関わりの中で支えられていく側面を持つ。伊勢湾台風を契機に誕生した南医療生協は、まさにその象徴的な存在である。大規模災害後の混乱の中で、住民と医療者が手を取り合い、診療所から病院へと発展してきた歩みは、単なる医療機関の成長ではなく、地域そのものの再生の歴史でもあった。映画だんらんにっぽん -愛知・南医療生協の奇跡-は、その過程を支えた無名の組合員たちに光を当てる。そこに描かれるのは、効率や市場原理では測れない、人と人とのつながりから生まれる医療のかたちである。受け身の「患者」から主体的な「担い手」へ――住民参加型医療の可能性を問いかける作品である。
2024年11月26日


第三十七回 サンキュー・スモーキング(2005年 米国)
禁煙が常識となりつつある現代において、煙草をめぐる議論は健康問題だけでなく、情報と価値観の問題へと広がっている。映画 サンキュー・スモーキング は、煙草業界のロビイストを主人公に据え、「正しさ」と「説得」のズレを鋭く描き出す作品だ。
主人公ニックは、煙草の有害性を否定するのではなく、論点を巧みにずらし、聴衆を納得させていく。その姿は、現代社会における情報操作の本質を象徴している。問題は真実そのものではなく、「どう語られるか」によって受け手の認識が左右される点にある。
また本作は、喫煙をめぐる是非を超え、「個人の自由」と「社会的責任」という普遍的なテーマを提示する。自己決定が尊重される一方で、その選択が他者や社会に与える影響も無視できない。情報があふれる時代だからこそ、何を信じ、どう判断するかが問われている。
2024年6月19日


第三十四回 ローマ法王の休日
リーダーとは強く、迷いのない存在であるべきだ――そんな期待は現実的なのでしょうか。
映画『ローマ法王の休日』は、選ばれた指導者がその重圧に耐えきれず葛藤する姿を描きます。本稿では、イソップ寓話の視点も交えながら、権力と責任、そして人間の弱さについて考察します。
2024年4月2日


第三十三回 日本一のホラ吹き男(1964年 日本)
「できる」と言い切ることは、ただの強がりなのか、それとも未来を切り開く力なのか。
映画『日本一の大ぼら吹き』は、大言壮語を現実に変えていく人物をユーモラスに描きます。本稿ではイソップ寓話とあわせて、「大ぼら」と自己実現の関係を読み解き、現代にも通じる人間心理を探ります。
2024年2月7日


第二十二回 ライアー・ライアー(1997年 米国)
「真実」はなぜ人のもとを離れてしまったのか――イソップ寓話「旅人と真実の女神」は、現代にも通じる鋭い問いを投げかける。
嘘が巧みに受け入れられ、ときに利益や成功をもたらす社会の中で、人はどこまで誠実でいられるのか。映画『ライアー・ライアー』は、そんなテーマをユーモアと風刺を交えて描いた作品である。嘘を武器に生きてきた弁護士が、ある日突然「嘘をつけない」という状況に追い込まれることで、見えてくるものとは何か。笑いの裏に潜む人間の弱さと再生の物語を通して、真実を語ることの意味を改めて考えさせられる。
2023年2月20日


第十六回 スティング(1973年 米国)
人間社会には、努力や勤勉さだけでは説明できない「欲望の構造」が存在する。他者の成果を羨み、利益を奪おうとする心理は、時代や文化を超えて繰り返されるテーマである。イソップ寓話「蟻」は、その原初的な形を示している。蟻となった人間は、姿を変えてもなお他者の収穫を盗み続ける存在として描かれ、欲望の本質的な不変性を象徴する。
映画『スティング』(1973年)は、この寓話的構造を詐欺と復讐の物語として精緻に描き出した作品である。騙し合いの連鎖の中で、登場人物たちは「正義」や「復讐」を掲げながらも、実際にはさらに大きな仕掛けの中で操られていく。そこでは善悪の境界すら曖昧となり、知恵と欺瞞が同一平面で交錯する。
こうした構造は現実社会にも重なる。AIJ投資顧問事件のように、巨額の資金が巧妙な仕組みによって吸い上げられ、被害者は回復の見通しも立たないまま精神的なダメージを抱える。詐欺は単なる犯罪ではなく、信頼という社会基盤そのものを揺るがす現象でもある。寓話と映画、そして現実の事件は、欲望と欺瞞がいかに形を変えながら繰り返されるかを示している。
2022年11月7日


第十三回 市民ケーン(1941年)
人間は誰しも、自分の力で世界を動かしているという感覚と、他者なしには生きられないという現実の間で揺れ動く存在である。この二つの錯覚について、ラ・ロシュフコーは「自分だけで生きられると思う者も、自分なしには世の中が回らないと思う者も、どちらも誤っている」と指摘した。
市民ケーンは、新聞王ケーンの栄光と崩壊を通して、権力と孤独、そして自尊心の行方を描いた映画史上の名作である。彼は巨大な報道機関を築き上げ、政治的野心と私的欲望の双方を拡大させていくが、その過程で人間関係は次第に崩壊していく。
栄光の頂点に立ちながらも、最後には誰にも理解されることなく孤独に死を迎えるケーンの姿は、権力の本質と人間の内的空虚を鋭く映し出している。
2022年8月17日


『きっと、うまくいく』 (インド 2009年)
インド映画『きっと、うまくいく』(2009年)は、エリート工科大学を舞台に、若者たちの進路と人生観を鮮やかに描き出す。原題「3 idiots」が示す通り、型破りな三人の学生は、社会や家族の期待に縛られながらも、自らの生き方を模索していく。写真家を志しながら父に技術者を強いられるフィルハーン、家族の期待を背負うラージュー、そして自由な発想で周囲を変えていく天才ランチョー。彼らの姿は、競争や学歴偏重に傾きがちな社会への問いかけでもある。成功とは肩書や地位なのか、それとも自分らしく生きることなのか。本作は「なせばなる」という前向きな精神とともに、真の人生選択のあり方を観る者に静かに問いかける。
2009年5月18日
カテゴリー一覧
bottom of page

