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院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


平行と垂直(2026年 日本)
自閉スペクトラム症(ASD)の兄と妹、そして二人を取り巻く人々の日常を描いた映画「平行と垂直」。母を早くに亡くし、母方の祖母に引き取られた兄妹は、それぞれ異なる形で人生を歩み始めます。物を平行や垂直に並べる兄は、清掃の仕事に就き、反復練習によって弁当作りも身につけています。仕事の丁寧さが評価される一方、時間がかかることを年配の同僚から指摘されるなど、社会の中で生きる難しさも描かれます。共同生活の支援者が必要なときに駆けつけ、幼い頃から兄を支えてきた妹にも結婚という人生の転機が訪れます。本作が問いかけるのは、障害の有無だけではありません。人はいつまで地域で暮らし続けられるのか、家族だけでなく周囲の人々がどう支え合うのか。「平均的人間」という概念そのものを問い直しながら、発達障害と共生社会について考えさせる作品です。
4 時間前


神に選ばれし無敵の男(2001年 米国)
歴史の転換期には、しばしば理性では説明のつかない現象や人物が脚光を浴びる。映画『神に選ばれし無敵の男』は、ナチス台頭前夜の不穏な空気の中で、人々の不安と期待を巧みに操った興行師と、そのもとで名声を得た青年の運命を描く。実在の人物をモデルに、権力と結びつくことで膨張していく影響力と、その脆さが浮き彫りにされる。熱狂の裏に潜む排除と差別、そして時代に飲み込まれていく個人の姿は、過去の出来事でありながら、現代にも通じる問いを投げかける。何を信じ、どこに立つのか――その選択の重さを考えさせる作品である。
2025年6月4日


俺たちに明日はない(1967年 アメリカ)
愛と暴力、自由と破滅。その境界が曖昧になる時代において、人間はどこへ向かうのか。映画『俺たちに明日はない』は、1930年代アメリカ大恐慌期を背景に、若き犯罪者ボニーとクライドの逃避行を描いた作品である。彼らは社会から疎外され、未来を持たない存在として、愛と犯罪を同一の衝動の中で生きていく。しかしその自由は持続するものではなく、むしろ加速する破滅へと収束していく。そこには単なる犯罪映画ではなく、時代そのものが生み出した“生き急ぐ若者たちの神話”が刻まれている。
2025年5月28日


モダン・タイムス(1936年 アメリカ)
人間は機械の歯車として生きるべき存在なのか、それとも自由な意思を持つ存在なのか。チャールズ・チャップリンの映画『モダン・タイムス』は、大恐慌下のアメリカを舞台に、工業化された労働環境の中で翻弄される一人の職工チャーリーの姿を通して、近代社会の矛盾を鋭く描いた作品である。単調な労働によって精神を蝕まれ、失業と投獄を繰り返す彼の人生は、制度と個人の関係が逆転した世界の象徴でもある。しかしその中で出会う少女との逃避行は、わずかながらも人間的自由の光を感じさせる。そこには、効率と管理の時代における人間の尊厳が問われている。
2025年5月23日


ガラスの動物園(1987 米国)
人間の記憶は、時にガラス細工のように繊細で壊れやすい。テネシー・ウィリアムズの戯曲を原作とする『ガラスの動物園』は、大恐慌期のアメリカ・セントルイスを舞台に、現実の貧困と精神的な閉塞の中で生きるウィングフィールド一家の姿を描いた作品である。家族はそれぞれに異なる夢と孤独を抱えながら、狭い空間の中で静かに崩壊へと向かっていく。母アマンダの過剰な期待、姉ローラの内向的な幻想、そして語り手トムの逃避願望。そのすべてが交錯する中で、過去は美化され、現在は重く沈み、未来は見えないまま宙吊りにされている。そこには「生きること」そのものの痛みが静かに刻まれている。
2025年5月14日


ウォール街(米国 1987年)
富は人を自由にするのか、それとも縛りつけるのか。映画『ウォール街』(1987年)は、若き証券マンと伝説的投資家の関係を通して、金融資本主義の本質を鋭く描いた作品である。インサイダー取引や企業買収といった冷徹なマネーゲームの世界では、倫理よりも利益が優先され、成功はしばしば道徳的な境界線を踏み越えることで成立する。イソップ寓話や大恐慌を背景に描かれる他の物語群と同様、本作もまた「人間は何のために働き、富を求めるのか」という根源的な問いを投げかけている。欲望に飲み込まれた個人が、どの地点で自らを取り戻すのかが、作品全体の核心となっている。
2025年5月8日


ゴッドファーザー(1972年 アメリカ)
権力は合法と非合法の境界を越えながら維持されることがある。映画『ゴッドファーザー』(1972年 アメリカ)は、シチリア系移民社会を背景に、マフィア組織の家族的結束と権力継承の構造を描いた作品である。そこでは暴力は単なる犯罪行為ではなく、秩序を維持し、交渉を成立させるための手段として機能している。イソップ寓話に見られるような「支配と報い」の構造とも響き合いながら、本作は血縁・忠誠・裏切りといった人間関係の本質を浮き彫りにする。大恐慌後の社会不安という歴史的背景の中で、国家と並行するもう一つの秩序が静かに成立していく過程が描かれている。
2025年4月23日


武器なき斗い(1960年 日本)
暴力に対して人は何で抗うことができるのか。映画『武器なき斗い』(1960年 日本)は、治安維持法下の弾圧という重圧の中で、信念と理想を武器に闘った一人の知識人の生涯を描く作品である。科学者として出発した主人公は、社会の不条理と向き合う中で政治の場へと歩みを進め、やがて言論による抵抗を選び取る。だが、その言葉は権力にとって脅威となり、ついには暴力によって封じられる。イソップ寓話が示すように、正しさが必ずしも守られるとは限らない現実の中で、本作は「声を上げること」の意味と代償を問いかける。歴史の中に埋もれがちな個の闘いが、現代にも通じる問題として浮かび上がる。
2025年4月16日
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