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院長コラム
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院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


鉄人◆難病にも立ち向かった
スポーツ選手の偉大さは、記録だけでは測れない。映画『打撃王』は、ニューヨーク・ヤンキースの伝説的選手 ルー・ゲーリッグ の人生を描いた作品である。ベーブ・ルースとの強力打線で知られ、二千百三十試合連続出場という不滅の記録を打ち立てたゲーリッグは、努力家で誠実な人格者としても愛された。しかし、栄光の絶頂で彼を襲ったのが、後に「ルー・ゲーリッグ病」と呼ばれる筋萎縮性側索硬化症(ALS)だった。身体が少しずつ動かなくなる過酷な難病に直面しながらも、彼は最後まで気品と誇りを失わなかった。引退式典で語った「私は世界で一番幸せな人間だと思っています」という言葉は、病苦の中でも感謝を忘れなかった彼の人間性を象徴している。映画には ベーブ・ルース 本人も出演しており、往年のメジャーリーグの空気も味わえる。病に敗れなかった精神こそが、ルー・ゲーリッグを永遠のスターにしたのである。
5月28日


陽気な挑戦者◆困難もさらり受け止め
失敗しても、笑われても、自分たちらしく挑み続ける。その姿勢が人を成長させる。映画『クール・ランニング』は、常夏の国ジャマイカの若者たちが、冬季五輪のボブスレー競技に挑戦する実話を基にした作品である。陸上競技で夢を絶たれた青年デリースは、新たな目標としてボブスレーを選ぶ。集まったのは皆素人同然の仲間たち。しかし、失敗や冷笑を受けながらも、自分たちの流儀を貫き、仲間との絆を深めていく。厳寒のカルガリーで彼らが得たものは、単なる順位ではなく、「誇り」と「自立」だった。失敗しても、笑われても、自分たちらしく挑み続ける。その姿勢が人を成長させる。映画『クール・ランニング』は、常夏の国ジャマイカの若者たちが、冬季五輪のボブスレー競技に挑戦する実話を基にした作品である。陸上競技で夢を絶たれた青年デリースは、新たな目標としてボブスレーを選ぶ。集まったのは皆素人同然の仲間たち。しかし、失敗や冷笑を受けながらも、自分たちの流儀を貫き、仲間との絆を深めていく。厳寒のカルガリーで彼らが得たものは、単なる順位ではなく、「誇り」と「自立」だった。
5月22日


患者の立場◆本当のつらさが分かる
「医者は病気を経験していないから、患者のつらさは分からないのではないか」――診療の現場で投げかけられるこの問いは、医療の本質に深く関わっている。すべての病を追体験することは不可能である以上、医師に求められるのは想像力と共感であるはずだ。しかし現実には、効率や技術が優先され、患者の心に寄り添う姿勢が後回しにされる場面も少なくない。映画『ドクター』は、患者の痛みを理解できなかったエリート医師が、自ら病を経験することで価値観を大きく変えていく姿を描く。医療とは単なる治療行為ではなく、人と人との関係の中で成り立つ営みであることを問いかける作品である。
2月9日


束縛◆ストレス解消には映画
現代社会は「一億総ストレス時代」ともいわれ、多くの人が日々の生活の中で心身の負担を抱えている。古代ローマの詩に由来し、ピエール・ド・クーベルタンによって広く知られた「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という言葉があるが、現実には体の健康だけで心の安定が保たれるわけではない。むしろ精神的な疲労は身体にも影響を及ぼし、不眠や不調を引き起こす。そうした中で、映画は心を解きほぐす有効な手段となり得る。例えば、男はつらいよの主人公・寅次郎の自由で奔放な生き方は、束縛の多い現代人に一時の解放感と笑いをもたらす。映画は現実から少し距離を置き、感情を揺さぶり、心を整える“癒やしの空間”として、今なお大きな役割を担っている。
2025年7月8日


自己愛◆ごう慢な権力者の孤独
権力や富を手にした人間は、本当に幸福に近づくのだろうか。むしろ、それらを追い求める過程で人間関係は歪み、最終的に深い孤独へと至ることも少なくない。中日新聞で紹介された映画『市民ケーン』は、その典型的な構造を描いた作品として、今なお高く評価されている。
物語の中心人物ケーンは、新聞王として成功を収め、政治や文化の領域にも影響力を拡大していく。しかしその過程で、愛情や信頼といった人間関係は次第に崩壊し、彼の人生は華やかさとは裏腹に空虚さを深めていく。
ケーンの行動は、現代的な視点から見ると「自己愛性パーソナリティー障害」に類似する特徴を持つとも解釈される。幼少期の愛情不足や分離体験が背景にあるとされ、権力や支配への過剰な執着として表れる点が重要である。
映画の象徴である「バラのつぼみ」は、失われた子ども時代の幸福を示唆しているとされ、どれほど成功を積み重ねても埋められない心の空洞を浮き彫りにする。そこには、富や名声では代替できない人間の根源的な欲求が存在していることが示されている。
2025年1月22日


自分らしく◆逆境の中でも誇り高く
人生において、健康、財産、愛する人などの喪失は避けがたく訪れる。そのような逆境に直面したとき、人は何を支えにして生き続けるのだろうか。精神的な回復力は単なる楽観性ではなく、「自分らしく生きてきた」という実感や誇りと深く関係している。
映画『愛と哀しみの果て』は、20世紀初頭のアフリカを舞台に、さまざまな困難の中で自己の生き方を模索し続ける女性の姿を描く。主人公カレンは、文化的制約、病、愛の喪失、経済的破綻といった試練に次々と直面しながらも、その都度、自らの信念と他者への誠実さを拠り所に行動していく。
すべてを失った後でさえ、彼女は他者の権利を守るために声を上げ、その姿勢は周囲の人々の尊敬を集める。そこには、成功や所有ではなく、「どう生きたか」という一貫した姿勢こそが、人間の尊厳を支えるという示唆がある。現代においても、喪失や挫折の中で自分らしさを保つことの意味は大きい。
2024年12月24日


エイズ◆すべての人が平等
感染症は単なる医学的問題にとどまらず、社会の価値観や偏見を浮き彫りにする。とりわけエイズは、「死の病」として恐れられてきた歴史の中で、差別や誤解と強く結びついてきた。科学的知識が進んだ現在でも、感染者や同性愛者に対する偏見は根強く残り、治療や生活の質に影響を及ぼしている。
映画フィラデルフィアは、不当解雇をめぐる裁判を通して、尊厳と平等の意味を問い直す作品である。主人公は病によって社会から排除されながらも、法のもとでの平等を求めて闘う。その姿は、自由と平等を掲げた理念が、現実にはいかに脆く揺らぐかを示している。
医療の進歩だけでは不十分であり、正しい知識と社会の理解が伴わなければ、真の意味での「平等」は実現しない。すべての人が等しく尊重される社会とは何かが、いま改めて問われている。
2024年12月11日


障害◆周囲の視線に負けない
映画『ギルバート・グレイプ』は、知的障害のある弟とその家族を支える兄の姿を通して、社会の中で生きることの意味を問いかける作品である。小さな町で暮らす一家は、周囲の視線や偏見にさらされながらも、互いを支え合い懸命に日々を生きている。特に印象的なのは、障害のある息子を守る母親の姿だ。世間の冷たい目に臆することなく、堂々と子を迎えに行くその姿には、家族の強さと深い愛情が表れている。本作は、障害を持つ人々の感性の鋭さや人間理解の深さを描くと同時に、支える家族の苦悩と誇りを映し出す。周囲の評価に縛られず生きることの大切さを、力強く伝える作品である。
2024年12月2日
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