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院長コラム
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院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


成長◆音楽教師の人生の喜び
映画『陽のあたる教室』(1995年)は、一人の音楽教師が30年にわたり生徒たちと向き合いながら、自らも成長していく姿を描いた感動作である。作曲家を志して高校教師となったホランドは、当初は教育を生活のための仕事と考えていた。しかし、個性に応じた指導を重ねる中で、生徒たちの才能が開花し、教師としての喜びを見いだしていく。一方で、先天性難聴の息子との葛藤や家族との関係にも向き合い、音楽が人と人を結び付ける力を実感する。退職の日、教え子たちとの再会を通して、自分が残した最大の「作品」が生徒たちの人生そのものであったことに気づく。本作は、教育とは何か、教師の使命とは何かを問いかける名作である。
7月21日


孤独◆老後への気づき大切
イングマル・ベルイマン監督の名作『野いちご』(1957年)は、老年期における孤独と人生の回顧、そして家族との和解を詩情豊かに描いた傑作である。名誉博士号授与のため旅に出た老医師イサクは、旅の途中で過去の思い出や悪夢、さまざまな人々との出会いを通して、自らが築いてきた人生を見つめ直していく。夢と現実が交錯する独特の映像表現の中で、孤独の原因は他者ではなく、自らの生き方にあることが静かに浮かび上がる。人生100年時代といわれる現代において、本作は老後の孤独を防ぐために必要なのは、自分自身への気づきと他者とのつながりであることを深く問いかける、時代を超えた名作である。
7月14日


ふるさと◆身近な美しさを再発見
『イル・ポスティーノ』(1994年)は、イタリアの小さな島を舞台に、一人の青年が詩人との出会いを通して、自らの人生と故郷の価値を見つめ直していく珠玉のヒューマンドラマである。政治亡命中のチリの詩人パブロ・ネルーダと、郵便配達人マリオとの世代を超えた友情は、詩の力によって青年の感性を育み、身近すぎて気づかなかった故郷の美しさを教えてくれる。恋や人生、社会への眼差しを深めながら成長するマリオの姿は、多くの人の心を打つ。主演のマッシモ・トロイージは重い心臓病を抱えながら本作を完成させ、公開直後に逝去した。その背景を知ると、フィリップ・ノワレとの温かな共演は一層深い感動を与えてくれる。故郷とは何か、人との出会いが人生をどう変えるのかを問いかける、不朽の名作である。
7月8日


性差別 ◆暴力による支配に反旗
『カラーパープル』(1985年)は、20世紀初頭のアメリカ南部を舞台に、黒人女性が性差別やドメスティック・バイオレンス(DV)、人種差別という幾重もの抑圧に抗いながら、自らの尊厳を取り戻していく姿を描いた感動作である。父親からの性虐待、夫による暴力と支配に苦しむ主人公セリーは、自立した女性シャグとの出会いをきっかけに、自分の人生を生きる勇気を取り戻していく。原作はアリス・ウォーカーのピューリッツァー賞受賞小説、監督はスティーブン・スピルバーグ。主演ウーピー・ゴールドバーグの迫真の演技は高く評価された。本作は、DVが人間の尊厳を奪う暴力であることを描くだけでなく、被害者が沈黙を破り、自らの人生を切り開く希望を力強く伝えている。性差別や暴力の問題を考えるうえで、今なお色あせない名作である。
7月1日


愛憎◆感情はいつの時代も同じ
時代が変わっても、人間の感情の本質は大きく変わらない。映画『サムソンとデリラ』(1949年・アメリカ)は、旧約聖書に登場する英雄サムソンと美女デリラの物語をもとに、愛と憎しみが交錯する人間ドラマを壮大なスケールで描いた歴史スペクタクルである。怪力を授かったヘブライ人の英雄サムソンは、民族の希望として人々に慕われる存在だった。一方、美貌と策略を武器に生きるデリラは、愛する男に拒絶されたことで嫉妬と復讐心に駆られ、彼を破滅へと導いてしまう。しかし、その過程で彼女自身もまた真実の愛に気づき、深い後悔に苦しむことになる。憧れ、独占欲、嫉妬、誘惑、憎悪、復讐――。古代を舞台にした物語でありながら、そこに描かれる感情は現代社会にも通じる普遍性を持っている。愛と憎しみが表裏一体であることを鮮やかに描いた不朽の名作である。
6月23日


中年期◆真剣な勉強にいい時期
人生の途中で訪れる「学び直し」は、決して遅すぎるものではない。映画『学校III』(1998年・日本)は、 山田洋次 が手がけた「学校」シリーズの一作であり、職業訓練校を舞台に、中年期に差しかかった人々の再出発を描いている。主人公の紗和子は、夫の過労死や家庭の問題、職の喪失といった重い現実を抱えながら、再就職のためにビル管理の資格取得を目指して学びの場に身を置く。同じ教室には、リストラによって社会的地位と自信を失った中年男性・高野もおり、最初は孤立と反発を繰り返しながらも、次第に互いの人生と向き合っていく。そこには単なる職業訓練ではなく、人間関係の再構築と自己再生の過程がある。バブル崩壊後の不安定な時代を背景に、学ぶことの意味と、人が再び前を向く力が描かれている。
6月19日


愛のかたち◆罪深い芸人と天使の旅
男と女の関係には、理屈では説明できない不思議な結びつきがある。映画『道』(1954年・イタリア)は、巨匠 フェデリコ・フェリーニ が描いたロードムービーの名作であり、粗暴な大道芸人ザンパノと、純真な女性ジェルソミーナの旅を通して、愛の本質を問いかける作品である。怪力芸で生計を立てるザンパノは、身勝手で乱暴な男だが、どこか憎めない存在でもある。一方のジェルソミーナは、知的な遅れを抱えながらも、人を喜ばせることに喜びを見いだし、周囲に温かさをもたらす。二人は各地を巡る中で奇妙な絆を育んでいくが、ザンパノは自分の気持ちをうまく表現できず、大切な存在を失ってしまう。やがて彼は取り返しのつかない喪失に直面し、深い後悔に襲われる。愛とは何か、人はなぜ失って初めてその価値に気づくのか。『道』は、半世紀以上を経た今も色あせない普遍的な問いを投げかけている。
6月12日


嫉妬◆相手も自分も焼き滅ぼす
人間関係の中で、もっとも扱いが難しい感情のひとつが「嫉妬」である。映画『アマデウス』(1984年・アメリカ)は、天才作曲家モーツァルトと宮廷音楽家サリエリの対比を通して、この感情の深層を描いた作品である。物語は、老いたサリエリの回想として語られ、自らの才能に限界を感じながらも神に祈り続けた彼が、なぜモーツァルトに対して憎悪と執着を抱くに至ったのかを明らかにしていく。下品で奔放でありながら、圧倒的な音楽的才能を持つモーツァルト。その才能を前に打ちのめされたサリエリは、やがて「神はなぜ彼に才能を与え、自分には与えなかったのか」という問いに囚われ、尊敬は憎悪へと変質していく。嫉妬は相手を傷つけるだけでなく、自らの精神をも静かに蝕んでいく。華麗な音楽とともに描かれるその心理劇は、人間の弱さと業の深さを鋭く照らし出す。
6月5日
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