top of page
院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


自分らしく◆逆境の中でも誇り高く
人生において、健康、財産、愛する人などの喪失は避けがたく訪れる。そのような逆境に直面したとき、人は何を支えにして生き続けるのだろうか。精神的な回復力は単なる楽観性ではなく、「自分らしく生きてきた」という実感や誇りと深く関係している。
映画『愛と哀しみの果て』は、20世紀初頭のアフリカを舞台に、さまざまな困難の中で自己の生き方を模索し続ける女性の姿を描く。主人公カレンは、文化的制約、病、愛の喪失、経済的破綻といった試練に次々と直面しながらも、その都度、自らの信念と他者への誠実さを拠り所に行動していく。
すべてを失った後でさえ、彼女は他者の権利を守るために声を上げ、その姿勢は周囲の人々の尊敬を集める。そこには、成功や所有ではなく、「どう生きたか」という一貫した姿勢こそが、人間の尊厳を支えるという示唆がある。現代においても、喪失や挫折の中で自分らしさを保つことの意味は大きい。
2024年12月24日


苦しい現実、逃げたい時も
人は、耐え難い現実に直面したとき、どこまでそれを引き受けることができるのだろうか。仕事に生きがいを見出してきた人ほど、その基盤が崩れたときの喪失は大きい。不況や人間関係の軋みは、静かに、しかし確実に心を追い詰めていく。
フランス映画『しあわせはどこに』は、そうした極限状態の中で、ひとりの男が「別の人生」を生きることで心の均衡を保とうとする姿を描く。精神医学でいう「遁走(フーグ)」という現象は、現実からの単なる逃避ではなく、自己を守るための一つの反応でもある。
本稿では、逃避と再生のあいだにある心の働きを手がかりに、現代社会におけるストレスとメンタルヘルスについて考える。
2024年12月24日


医療と医学 近くて遠きもの
医療は目の前の患者を救うことを使命とし、医学は未知の解明を追い求める。この二つは密接でありながら、ときに大きな隔たりを見せます。ポリオ研究の中断や知的障害医療の停滞に象徴されるように、現実の医療現場では「治すこと」と「支えること」の間で葛藤が生じ続けています。本稿では、アルジャーノンに花束をとグッド・ウィル・ハンティングという対照的な作品を手がかりに、人間の知性と心のあり方、そして医療と医学の関係について考えます。
2024年12月23日


ダンスでいやす被ばくの苦痛
長い闘病や深い心身の苦痛を抱えながらも、人はなお生きる意味や支えを見出そうとする。長崎原爆による被ばくを経験し、その後も病と向き合い続けてきた人々にとって、日々の生活の中にある小さな喜びはかけがえのないものとなる。慢性的な痛みや不眠に苦しむ中でも、かつて情熱を注いだダンスが心の支えであり続ける姿は、人間の回復力の強さを物語る。
映画スウィング・キッズは、抑圧的な時代の中で音楽とダンスに自由を見出そうとする若者たちの姿を描き、表現活動が心に与える力を示している。現実の医療においても、薬物療法だけでなく、個人の「生きがい」や喜びに寄り添うことが、回復への重要な手がかりとなる。
癒やしは必ずしも劇的なものである必要はない。ささやかな楽しみが、長い苦しみの中で人を支えることもある。
2024年12月20日


幸福のクローバー、まず健康
人の幸福を形づくる要素として、異性、金銭、地位、そして健康が挙げられることがある。これらは「四つ葉のクローバー」にたとえられ、どれが欠けても人生に影を落とす可能性がある。しかし、すべてを満たすことは容易ではなく、多くの人が何らかの不全や喪失を抱えて生きている。とりわけ健康は、他の要素を支える土台であり、失われたときに初めてその重みが実感される。
映画マイ・ルームは、白血病という過酷な現実を通して、家族の葛藤と再生を描く。病は個人の問題にとどまらず、家族関係や人生観にまで影響を及ぼし、それぞれが抱えるわだかまりや距離を浮かび上がらせる。同時に、病を契機として人と人とのつながりが回復し、幸福の意味が問い直されていく。
豊かさや成功が注目されがちな現代においても、まず守るべきものは何か。健康という基盤の上にこそ、他の幸福は成り立っている。
2024年12月18日


エイズ◆すべての人が平等
感染症は単なる医学的問題にとどまらず、社会の価値観や偏見を浮き彫りにする。とりわけエイズは、「死の病」として恐れられてきた歴史の中で、差別や誤解と強く結びついてきた。科学的知識が進んだ現在でも、感染者や同性愛者に対する偏見は根強く残り、治療や生活の質に影響を及ぼしている。
映画フィラデルフィアは、不当解雇をめぐる裁判を通して、尊厳と平等の意味を問い直す作品である。主人公は病によって社会から排除されながらも、法のもとでの平等を求めて闘う。その姿は、自由と平等を掲げた理念が、現実にはいかに脆く揺らぐかを示している。
医療の進歩だけでは不十分であり、正しい知識と社会の理解が伴わなければ、真の意味での「平等」は実現しない。すべての人が等しく尊重される社会とは何かが、いま改めて問われている。
2024年12月11日


第四十二回 80デイズ(2004年 米国)
人はしばしば理想や夢を語るが、それを現実のものにするには行動が不可欠である。
八十日間世界一周を原作とする映画80デイズは、突飛とも思える挑戦を実行に移すことで道を切り開いていく姿を描く。発明家フォッグと、中国人ラウの旅は、単なる冒険譚にとどまらず、それぞれが抱える目的や信念を実現していく過程でもある。
旅の中では幾度も困難や妨害に直面するが、機転や協力によって乗り越えていく。その積み重ねが、最終的には「証明」として結実する。これはイソップ寓話の「言葉ではなく事実で示せ」という教訓にも通じる。
現代では移動手段の発達により世界は身近になったが、本質的な意味での「旅」は変わらない。未知に踏み出し、自らの力で確かめる経験こそが、人を成長させる。人生そのものが一つの旅であるとすれば、求められるのは語ること以上に、実際に一歩を踏み出す勇気である。
2024年12月6日


障害◆周囲の視線に負けない
映画『ギルバート・グレイプ』は、知的障害のある弟とその家族を支える兄の姿を通して、社会の中で生きることの意味を問いかける作品である。小さな町で暮らす一家は、周囲の視線や偏見にさらされながらも、互いを支え合い懸命に日々を生きている。特に印象的なのは、障害のある息子を守る母親の姿だ。世間の冷たい目に臆することなく、堂々と子を迎えに行くその姿には、家族の強さと深い愛情が表れている。本作は、障害を持つ人々の感性の鋭さや人間理解の深さを描くと同時に、支える家族の苦悩と誇りを映し出す。周囲の評価に縛られず生きることの大切さを、力強く伝える作品である。
2024年12月2日
カテゴリー一覧
bottom of page

