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院長コラム
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院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


第十八回 評決(1982年 米国)
人は医療に対して「必ず正しい結果がもたらされる」という無意識の期待を抱きがちである。しかし現実の医療は、人間が担う以上、誤りや限界と無縁ではない。
イソップ寓話「病人と医者」は、どのような症状も「良い按配」と言い続ける医者の姿を通して、無責任な楽観や判断停止の危うさを風刺している。
映画『評決』(1982年)は、医療過誤をめぐる裁判を軸に、真実を追求することの困難さと倫理的責任を描いた作品である。そこでは、組織の論理や保身が事実を歪め、弱い立場の患者が置き去りにされる現実が浮き彫りになる。
医療への信頼は重要であるが、それは盲信ではなく、透明性と責任によって支えられるべきものである。
2022年11月28日


第十七回 キング・オブ・コメディ(1983年 米国)
人は誰しも、自分の可能性を語るときに、現実以上の物語をまとわせてしまうことがある。それは時に夢や希望として肯定される一方で、裏付けのない誇張は「法螺吹き」として軽視される対象にもなる。
イソップ寓話「法螺吹き」は、言葉だけで自己の価値を証明しようとする人間に対し、「ならば今ここで示してみよ」と現実が突きつける逆転の構図を描いている。
一方、創作映画の世界では、承認欲求に突き動かされた人物が虚構の成功を追い求め、ついには逸脱した行動に至る姿がコミカルかつ痛烈に描かれることがある。しかし現実のサイエンスや医療の世界では、語りの巧さではなく、再現可能な事実だけが評価の基準となる。
ノーベル賞受賞に象徴される科学的成果もまた、派手な自己演出ではなく、地道な検証と積み重ねの先にある。言葉がどれほど雄弁であっても、現実を超えることはできない。その厳しさと公平さこそが、科学の本質でもある。
2022年11月7日


第十六回 スティング(1973年 米国)
人間社会には、努力や勤勉さだけでは説明できない「欲望の構造」が存在する。他者の成果を羨み、利益を奪おうとする心理は、時代や文化を超えて繰り返されるテーマである。イソップ寓話「蟻」は、その原初的な形を示している。蟻となった人間は、姿を変えてもなお他者の収穫を盗み続ける存在として描かれ、欲望の本質的な不変性を象徴する。
映画『スティング』(1973年)は、この寓話的構造を詐欺と復讐の物語として精緻に描き出した作品である。騙し合いの連鎖の中で、登場人物たちは「正義」や「復讐」を掲げながらも、実際にはさらに大きな仕掛けの中で操られていく。そこでは善悪の境界すら曖昧となり、知恵と欺瞞が同一平面で交錯する。
こうした構造は現実社会にも重なる。AIJ投資顧問事件のように、巨額の資金が巧妙な仕組みによって吸い上げられ、被害者は回復の見通しも立たないまま精神的なダメージを抱える。詐欺は単なる犯罪ではなく、信頼という社会基盤そのものを揺るがす現象でもある。寓話と映画、そして現実の事件は、欲望と欺瞞がいかに形を変えながら繰り返されるかを示している。
2022年11月7日


第十五回 タイタニック(1997年 米国)
人生はしばしば航海に喩えられる。順風満帆に見える旅路であっても、ひとたび嵐に遭遇すれば、その行方は容易に揺らぐ。古代の寓話が示すように、人は危機を脱した後ほど油断しやすく、本当の意味での備えや慎重さは試練の最中だけでなく、その後にも求められる。
映画『タイタニック』は、豪華客船の沈没という歴史的悲劇を背景に、身分や階層の違いが生死を分ける現実を描き出した作品である。ジャックとローズの恋愛は象徴的でありながら、その背後には、同じ船に乗りながらも決して交わることのない社会構造が横たわっている。
現実の災害においても、命が助かった後に待ち受けるのは、必ずしも安堵ではない。生活基盤の喪失や将来への不安は、長く心に影を落とす。生き延びることと、生き続けられることは同義ではないのである。だからこそ、危機を免れた後も含めて、人間はどのように生を支えていくのかを考え続けなければならない。
2022年9月27日


第十四回 天井桟敷の人々(1944年 仏関西)
人は言葉だけで他者と理解し合っているわけではない。視線やしぐさ、沈黙といった非言語的な表現は、ときに言葉以上に豊かな感情を伝える力を持っている。
映画『天井桟敷の人々』は、19世紀パリの劇場を舞台に、道化師バティストの純粋な愛と人間関係の機微を描き出す名作である。言葉を発さないパントマイムによって心情を表現する彼の姿は、「伝える」とは何かを根源から問いかけてくる。一方で現代社会では、「空気が読めない」とされる人が増えているとも言われる。感情の機微を読み取る力が弱まることは、人間関係の摩擦や孤立を生む要因にもなりうる。過剰に読みすぎるのも問題だが、まったく感じ取れないこともまた課題である。本作は、愛や嫉妬、欲望といった普遍的な感情を通して、人間理解の本質とその難しさを静かに映し出している。
2022年9月15日


第十三回 市民ケーン(1941年)
人間は誰しも、自分の力で世界を動かしているという感覚と、他者なしには生きられないという現実の間で揺れ動く存在である。この二つの錯覚について、ラ・ロシュフコーは「自分だけで生きられると思う者も、自分なしには世の中が回らないと思う者も、どちらも誤っている」と指摘した。
市民ケーンは、新聞王ケーンの栄光と崩壊を通して、権力と孤独、そして自尊心の行方を描いた映画史上の名作である。彼は巨大な報道機関を築き上げ、政治的野心と私的欲望の双方を拡大させていくが、その過程で人間関係は次第に崩壊していく。
栄光の頂点に立ちながらも、最後には誰にも理解されることなく孤独に死を迎えるケーンの姿は、権力の本質と人間の内的空虚を鋭く映し出している。
2022年8月17日


第十二回 モダン・タイムス(1936年)
モダン・タイムス(1936年)は、チャールズ・チャップリンが近代工業社会の矛盾を鋭く風刺した代表作である。機械化された工場で単調な作業に追われる主人公チャーリーは、やがて精神的に追い詰められ、社会の流れからはじき出されていく。
本作は、効率と生産性を最優先する産業社会の中で、人間が「歯車」と化していく現実を描き出す。その一方で、自由を求めることは不安定な生活や貧困と隣り合わせでもあるという、根源的なジレンマを提示している。
古代イソップ寓話にある「自由の道」と「奴隷の道」の比喩が示すように、人間は常に安定と自由の間で揺れ動く存在である。本作は80年以上前の作品でありながら、現代の労働観や生き方にも深い問いを投げかけ続けている。
2022年7月27日


第十一回 チャイナ・シンドローム(1979年)
巨大災害は自然の猛威として語られることが多い。しかし、その背後には人間の判断や制度の不備が重なっている場合も少なくない。映画 チャイナ・シンドローム は、原子力発電所の事故をめぐる報道と隠蔽の構造を描き、技術と社会の危うい関係を浮き彫りにした作品である。
公開直後に実際の原発事故が起きたことで現実味を帯びたこの物語は、安全神話のもろさと、組織が不都合な真実を隠そうとする心理を鋭く突いている。自然災害と技術災害が複合的に重なった東日本大震災と原発事故は、その問題を現実のものとして突きつけた。
イソップ寓話が示すように、災厄の原因を表層だけで語ることはできない。自然の力だけでなく、それを取り巻く人間の選択と責任を見つめ直すことが、これからの社会に求められている。
2022年7月4日
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