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院長コラム
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院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


眠り病◆難病なのに理解されず
突然、場所や状況を問わず眠りに落ちてしまう――そんな症状を持つナルコレプシーは、日常生活に大きな支障をきたす難病であるにもかかわらず、「怠けている」といった誤解を受けやすい病気である。日本では比較的発症率が高いとされながら、社会的認知は十分とは言えない。
映画マイ・プライベート・アイダホでは、この病を抱える若者の孤独や葛藤が繊細に描かれている。症状だけでなく、生い立ちや人間関係の苦しみも重なり、彼の生きづらさはより深く浮き彫りになる。
近年、脳内物質オレキシンの減少が原因の一つとして明らかになり、医学的理解は進みつつある。しかし治療は依然として対症療法が中心であり、制度的支援も十分ではない。ナルコレプシーは、医学だけでなく社会全体の理解と支援が求められる疾患である。
2024年8月28日


統合失調症、社会復帰に援助を
統合失調症は長期的な治療と支援を必要とする精神疾患であり、症状の安定後も社会復帰には多くの困難が伴う。かつては長期入院が主流だったが、「地域で生きる」という理念のもと、脱施設化が進められてきた。しかし、その理想と現実の間には大きな隔たりがある。
映画聖者の眠る街は、退院後に社会の中で生きる統合失調症の当事者の姿を描き、その孤独や葛藤を浮き彫りにしている。医療から離れた後、生活のすべてを自分で担うことになる現実は厳しく、支援が不十分であれば再び孤立に陥る危険もある。
真の社会復帰とは、単に病院を出ることではなく、安心して暮らせる居場所と周囲の理解を得ることにある。医療・福祉・地域社会が連携し、一人ひとりに応じた継続的な支援を行う体制づくりが求められている。
2024年8月21日


障害の受容◆自己の再発見にもなる
障害を負ったとき、人は単に失われた機能を取り戻すだけでなく、新たな生き方そのものを模索することになる。映画『心の旅』(1991年・アメリカ)を題材にしながら、障害の受容とは「能力の回復」にとどまらず、「自己の再発見」であると論じる。
物語では、前頭葉損傷により記憶を失ったエリート弁護士が、幼児のような状態から再び社会に戻っていく過程が描かれる。そこで浮かび上がるのは、地位や能力を失った後に残る人間の本質と、家族や社会との関係の再構築である。
日本においても高次脳機能障害などの後遺症により、社会復帰に困難を抱える人は少なくない。近年は専門的リハビリテーション体制が整いつつあるが、依然として「受容」と「社会的理解」は大きな課題である。リハビリは単なる医療行為ではなく、「全人的な権利の回復」であり、生き直しのプロセスでもある。
2024年8月14日


第三十八回 偉大なるマルグリット(2015年仏蘭西)マダムフローレンス(2016年英国)
人は自分の声や能力を、必ずしも客観的に把握できるわけではない。特に「音楽」や「表現」の領域では、その自己評価と他者評価の乖離が、しばしば滑稽さや悲劇性を生む。映画偉大なるマルグリットとマダム・フローレンスは、実在の音痴歌手をモデルに、純粋な情熱と周囲の思惑が交錯する人間模様を描いている。
前者では、自身の音痴に気づかぬまま歌う女性が、他者の野心によって舞台へと押し出されていく過程が描かれる。後者では、内縁の夫との強い結びつきの中で、「才能」よりも「信じる力」が前景化されていく。いずれも共通するのは、歌の巧拙ではなく、本人の確信と周囲のまなざしが物語を動かしている点である。
音痴という現象は単なる能力の問題ではなく、知覚・運動・認知のズレとしても捉えられる。そこには人間の自己認識の不確かさと、それでも他者と関わりながら生きる滑稽さと温かさが同居している。
2024年8月4日


歩行中にも発作的に居眠り
日常生活の中で誰もが経験する眠気は、通常は一時的な疲労反応にすぎない。しかし、意志とは無関係に突然眠り込んでしまう場合、その背後には病的な要因が潜んでいることがある。ナルコレプシーは代表的な過眠症の一つであり、日中の強い眠気や突然の睡眠発作を特徴とする神経疾患である。
精神科医・粥川裕平氏は、歩行中や会話中にも発作的に眠ってしまう患者の事例を紹介しながら、この疾患が単なる「怠け」や「性格の問題」と誤解されやすい現実を指摘する。映画マイ・プライベート・アイダホでも描かれたように、当事者は社会的偏見や孤立に直面しやすい。
一方で、適切な診断と薬物治療により症状が改善する例もあり、早期の医療的介入が重要となる。病気への理解と社会的支援の不足は、患者の生活や就労に大きな影響を与えるため、医療と社会の両面からの支援体制が求められている。
2024年7月31日


「夫婦」◆いさかいの中で成長
仕事中心の生活や価値観の違いが、夫婦関係にひずみをもたらす現代社会。
映画クレイマー、クレイマーは、家庭を顧みなかった夫と、自立を求めて家を出た妻の姿を通して、家族のあり方を問いかける。
突然、子育てを担うことになった夫は、戸惑いながらも日常の中で父親として成長していく。一方で妻もまた、自分自身を取り戻しながら母としての思いに向き合う。すれ違いと葛藤を経て、互いを理解しようとする過程は、単なる離婚劇にとどまらず、人が関係の中で変わり得ることを示している。
競争社会や核家族化の中で孤立しやすい現代において、夫婦がどのように支え合い、成長していくのかという普遍的なテーマを浮かび上がらせる作品である。
2024年7月24日


共同作業の喜び、患者に自信
精神科医療の現場では、治療は薬物療法やカウンセリングだけにとどまらない。患者が社会性や主体性を取り戻すためには、「誰かと共に何かを成し遂げる体験」が重要な意味を持つ。精神病院では年間行事や文化活動、デイケアなどを通じて、患者同士やスタッフとの関わりが日常的に築かれている。
統合失調症をはじめとする精神疾患の患者は、繊細で傷つきやすく、ストレスに対して脆弱であるとされる。そのため孤立しやすく、自信や意欲を失いがちである。しかし、演劇や創作活動などの共同作業に参加することで、自分の役割を実感し、他者からの評価を受ける経験が回復への大きな契機となる。
映画ハーモニーは、精神病院での演劇活動を通じて、混沌とした個性が調和へと変わっていく過程を描き出す。そこには、医療の枠を超えた「人間的回復」の本質が映し出されている。
2024年7月17日


分かっちゃいるけど◆刺激求めギャンブル投入
「一攫千金」という甘い夢は、多くの人を惹きつける。しかし、その裏側には人間の脳の仕組みに根ざした強い依存性が潜んでいる。のるかそるかは、競馬にのめり込む主人公を通じて、ギャンブルの本質とその危うさを描いた作品だ。
勝つか負けるかという極端な結果と、その過程で生まれる期待や興奮は、脳の快楽中枢や新規探究心を強く刺激する。たとえ偶然の勝利であっても「次も当たるかもしれない」という感覚が繰り返され、やがてやめられなくなる。これは単なる意志の弱さではなく、心理的・生理的なメカニズムに基づく現象である。
「分かっているのにやめられない」という状態は、強迫性障害にも通じる側面を持つ。現代社会において、ギャンブルとの適切な距離感をどう保つかは、個人の問題にとどまらず、重要なメンタルヘルスの課題となっている。
2024年7月10日
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