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院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


不眠症◆軽視せず早めに相談を
不眠症は、多くの現代人が抱える身近な問題でありながら、つい軽視されがちな症状である。眠れない状態が続くと、日中の集中力低下や判断力の鈍化を招き、仕事や人間関係にも影響を及ぼす。さらに慢性化すれば、うつ病などの精神疾患へと発展するリスクも高まる。
映画眠れぬ夜のためには、不眠に苦しむ平凡な会社員が、思わぬ事件に巻き込まれていくサスペンスである。睡眠不足による心身の不安定さが、日常を非日常へと変えてしまう様子が象徴的に描かれている。
不眠の背景には、家庭や職場でのストレス、生活習慣の乱れなどが複雑に絡んでいることが多い。適切な生活リズムの確立や環境調整に加え、必要に応じて専門家へ相談することが、回復への第一歩となる。
2024年9月18日


精神科医の立場から過労自殺に立ち向かう
<働き方>に関する様々な問題に取り組む「NPO法人働き方ASU-NET」様にご取材いただいた記事をご紹介いたします。
過労や長時間労働による心身の不調、そして過労死・過労自殺は、日本社会が長く抱えてきた深刻な問題です。
精神科医として睡眠障害や労働者のメンタルヘルスの研究に取り組み、過労死防止学会の発起人としても活動する院長・粥川裕平のインタビュー記事をご紹介します。
医師を志したきっかけ、過労死問題に関わるようになった経緯、日本社会の働き方の変化、そして睡眠不足とメンタルヘルスの関係について語っています。
2024年9月17日


中高年の女性に多い不眠症
「眠れない」という悩みは、現代社会において決して珍しいものではない。日本人の約4人に1人が不眠を経験しているとされ、とりわけ中高年の女性に多いことが知られている。不眠は単なる体質の問題と思われがちだが、その背景には日常生活の不満やストレス、対人関係の悩みなど、心理的要因が深く関わっている場合が多い。
現代は本来の生活リズムを崩しやすく、仕事や娯楽によって睡眠時間が軽視されがちである。その結果、ストレスと不眠が相互に影響し合い、「眠れないこと自体が新たな不安を生む」という悪循環に陥るケースも少なくない。
不眠の原因は身体疾患から精神疾患まで多岐にわたり、放置すれば生活の質の低下だけでなく、深刻な心の問題につながる可能性もある。適切な生活習慣の見直しとともに、早めの対処が重要とされている。
2024年9月11日


第三十九回 オスカーとルシンダ(1997年 米国)・のるかそるか(1989年 米国)
一獲千金の夢を抱かせるギャンブルは、人間の欲望と深く結びついた行為である。今回取り上げるのは、オスカーとルシンダとのるかそるかという対照的な二作品だ。前者は信仰と愛を賭けた壮大な物語の中で、賭博の危うさと人間の執着を描き、後者は競馬に魅せられた男の姿を通して、滑稽さと人間らしさを浮き彫りにする。
賭けに勝てばさらなる欲望が生まれ、負ければ取り返そうとする。この連鎖こそがギャンブルの本質であり、一度のめり込めば抜け出すことは容易ではない。現代ではカジノ構想なども議論されているが、その是非を考えるうえでも、これらの作品は重要な示唆を与えてくれる。娯楽としての魅力と社会的リスク、その両面を見つめる視点が求められている。
2024年9月9日


眠り病◆難病なのに理解されず
突然、場所や状況を問わず眠りに落ちてしまう――そんな症状を持つナルコレプシーは、日常生活に大きな支障をきたす難病であるにもかかわらず、「怠けている」といった誤解を受けやすい病気である。日本では比較的発症率が高いとされながら、社会的認知は十分とは言えない。
映画マイ・プライベート・アイダホでは、この病を抱える若者の孤独や葛藤が繊細に描かれている。症状だけでなく、生い立ちや人間関係の苦しみも重なり、彼の生きづらさはより深く浮き彫りになる。
近年、脳内物質オレキシンの減少が原因の一つとして明らかになり、医学的理解は進みつつある。しかし治療は依然として対症療法が中心であり、制度的支援も十分ではない。ナルコレプシーは、医学だけでなく社会全体の理解と支援が求められる疾患である。
2024年8月28日


統合失調症、社会復帰に援助を
統合失調症は長期的な治療と支援を必要とする精神疾患であり、症状の安定後も社会復帰には多くの困難が伴う。かつては長期入院が主流だったが、「地域で生きる」という理念のもと、脱施設化が進められてきた。しかし、その理想と現実の間には大きな隔たりがある。
映画聖者の眠る街は、退院後に社会の中で生きる統合失調症の当事者の姿を描き、その孤独や葛藤を浮き彫りにしている。医療から離れた後、生活のすべてを自分で担うことになる現実は厳しく、支援が不十分であれば再び孤立に陥る危険もある。
真の社会復帰とは、単に病院を出ることではなく、安心して暮らせる居場所と周囲の理解を得ることにある。医療・福祉・地域社会が連携し、一人ひとりに応じた継続的な支援を行う体制づくりが求められている。
2024年8月21日


障害の受容◆自己の再発見にもなる
障害を負ったとき、人は単に失われた機能を取り戻すだけでなく、新たな生き方そのものを模索することになる。映画『心の旅』(1991年・アメリカ)を題材にしながら、障害の受容とは「能力の回復」にとどまらず、「自己の再発見」であると論じる。
物語では、前頭葉損傷により記憶を失ったエリート弁護士が、幼児のような状態から再び社会に戻っていく過程が描かれる。そこで浮かび上がるのは、地位や能力を失った後に残る人間の本質と、家族や社会との関係の再構築である。
日本においても高次脳機能障害などの後遺症により、社会復帰に困難を抱える人は少なくない。近年は専門的リハビリテーション体制が整いつつあるが、依然として「受容」と「社会的理解」は大きな課題である。リハビリは単なる医療行為ではなく、「全人的な権利の回復」であり、生き直しのプロセスでもある。
2024年8月14日


第三十八回 偉大なるマルグリット(2015年仏蘭西)マダムフローレンス(2016年英国)
人は自分の声や能力を、必ずしも客観的に把握できるわけではない。特に「音楽」や「表現」の領域では、その自己評価と他者評価の乖離が、しばしば滑稽さや悲劇性を生む。映画偉大なるマルグリットとマダム・フローレンスは、実在の音痴歌手をモデルに、純粋な情熱と周囲の思惑が交錯する人間模様を描いている。
前者では、自身の音痴に気づかぬまま歌う女性が、他者の野心によって舞台へと押し出されていく過程が描かれる。後者では、内縁の夫との強い結びつきの中で、「才能」よりも「信じる力」が前景化されていく。いずれも共通するのは、歌の巧拙ではなく、本人の確信と周囲のまなざしが物語を動かしている点である。
音痴という現象は単なる能力の問題ではなく、知覚・運動・認知のズレとしても捉えられる。そこには人間の自己認識の不確かさと、それでも他者と関わりながら生きる滑稽さと温かさが同居している。
2024年8月4日
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