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院長コラム
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院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


第二十四回 モル・フランダース (1996年 米英)
イソップ寓話「遭難者とアテナ女神」と映画『モル・フランダース』を通して、逆境に直面したときの人間の在り方を描きます。祈りに頼るだけでなく、自ら一歩を踏み出すことの意味とは何か。波瀾に満ちた人生を生き抜く姿から、困難の中でも道を切り開く力と、人間の強さと弱さを見つめ直します。
2023年5月9日


第二十三回 アンジェラの灰(1999年 米英)
アンジェラの灰は、貧困と家庭の問題の中で成長する少年の姿を描いた作品。イソップ寓話と重ねながら、変わることの難しさと、それでも人生を切り開こうとする力に光を当てます。日常の中に潜む習慣の重さを見つめ直す一篇です。
2023年3月13日


第二十二回 ライアー・ライアー(1997年 米国)
「真実」はなぜ人のもとを離れてしまったのか――イソップ寓話「旅人と真実の女神」は、現代にも通じる鋭い問いを投げかける。
嘘が巧みに受け入れられ、ときに利益や成功をもたらす社会の中で、人はどこまで誠実でいられるのか。映画『ライアー・ライアー』は、そんなテーマをユーモアと風刺を交えて描いた作品である。嘘を武器に生きてきた弁護士が、ある日突然「嘘をつけない」という状況に追い込まれることで、見えてくるものとは何か。笑いの裏に潜む人間の弱さと再生の物語を通して、真実を語ることの意味を改めて考えさせられる。
2023年2月20日


第二十一回 大逆転(1983年 米国)
イソップ寓話「石を曳き上げた漁師」が示すように、喜びと悲しみは表裏一体であり、人は状況の変化に翻弄される存在でもある。映画『大逆転』は、富と貧困という対極に置かれた二人の男の立場が入れ替わることで、人間の本質と社会の構造を浮き彫りにする。環境が人を形作るのか、それとも個人の資質がすべてなのか。軽妙なコメディの裏に潜む鋭い問いが、観る者に人生の不確かさと可能性を静かに突きつけてくる。
2023年1月30日


第二十回 第三の男(1949年 英国)
正義は常に勝つとは限らず、悪は必ずしも明確な顔をして現れるわけでもない。イソップ寓話「狼と仔羊」が示すように、不条理な力の前では正論すら無力となることがある。
映画『第三の男』は、第二次世界大戦後の混沌としたウィーンを舞台に、友情と裏切り、そして人間の善悪の曖昧さを描き出す名作である。チターの印象的な旋律に彩られた光と影の世界の中で、主人公は真実に近づくほどに苦しい選択を迫られていく。
誰を信じ、何を守るのか――その問いは、時代を超えて私たちの胸に重く響く。
2023年1月10日


第十八回 評決(1982年 米国)
人は医療に対して「必ず正しい結果がもたらされる」という無意識の期待を抱きがちである。しかし現実の医療は、人間が担う以上、誤りや限界と無縁ではない。
イソップ寓話「病人と医者」は、どのような症状も「良い按配」と言い続ける医者の姿を通して、無責任な楽観や判断停止の危うさを風刺している。
映画『評決』(1982年)は、医療過誤をめぐる裁判を軸に、真実を追求することの困難さと倫理的責任を描いた作品である。そこでは、組織の論理や保身が事実を歪め、弱い立場の患者が置き去りにされる現実が浮き彫りになる。
医療への信頼は重要であるが、それは盲信ではなく、透明性と責任によって支えられるべきものである。
2022年11月28日


第十七回 キング・オブ・コメディ(1983年 米国)
人は誰しも、自分の可能性を語るときに、現実以上の物語をまとわせてしまうことがある。それは時に夢や希望として肯定される一方で、裏付けのない誇張は「法螺吹き」として軽視される対象にもなる。
イソップ寓話「法螺吹き」は、言葉だけで自己の価値を証明しようとする人間に対し、「ならば今ここで示してみよ」と現実が突きつける逆転の構図を描いている。
一方、創作映画の世界では、承認欲求に突き動かされた人物が虚構の成功を追い求め、ついには逸脱した行動に至る姿がコミカルかつ痛烈に描かれることがある。しかし現実のサイエンスや医療の世界では、語りの巧さではなく、再現可能な事実だけが評価の基準となる。
ノーベル賞受賞に象徴される科学的成果もまた、派手な自己演出ではなく、地道な検証と積み重ねの先にある。言葉がどれほど雄弁であっても、現実を超えることはできない。その厳しさと公平さこそが、科学の本質でもある。
2022年11月7日


第十六回 スティング(1973年 米国)
人間社会には、努力や勤勉さだけでは説明できない「欲望の構造」が存在する。他者の成果を羨み、利益を奪おうとする心理は、時代や文化を超えて繰り返されるテーマである。イソップ寓話「蟻」は、その原初的な形を示している。蟻となった人間は、姿を変えてもなお他者の収穫を盗み続ける存在として描かれ、欲望の本質的な不変性を象徴する。
映画『スティング』(1973年)は、この寓話的構造を詐欺と復讐の物語として精緻に描き出した作品である。騙し合いの連鎖の中で、登場人物たちは「正義」や「復讐」を掲げながらも、実際にはさらに大きな仕掛けの中で操られていく。そこでは善悪の境界すら曖昧となり、知恵と欺瞞が同一平面で交錯する。
こうした構造は現実社会にも重なる。AIJ投資顧問事件のように、巨額の資金が巧妙な仕組みによって吸い上げられ、被害者は回復の見通しも立たないまま精神的なダメージを抱える。詐欺は単なる犯罪ではなく、信頼という社会基盤そのものを揺るがす現象でもある。寓話と映画、そして現実の事件は、欲望と欺瞞がいかに形を変えながら繰り返されるかを示している。
2022年11月7日
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