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院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


眠れる美女(伊太利亜・仏蘭西 2012年)
医療は人を救うためにあるが、その限界に直面したとき、私たちは何を選ぶのか。「何より害をなさぬこと」というヒポクラテスの言葉は、現代においてもなお重い意味を持つ。映画『眠れる美女』は、実際にイタリア社会を揺るがした尊厳死問題を背景に、異なる立場の人々の葛藤を描く群像劇である。政治、宗教、家族、個人の意思――それぞれが交錯する中で、「生きること」と「終えること」の境界が揺らいでいく。単なる是非を超え、人間の尊厳とは何かを静かに問いかける作品である。
2018年4月21日


旅人は夢を奏でる(フィンランド 2012年)
人は過去から逃れ続けることはできない。映画『旅人は夢を奏でる』(2012年 フィンランド)は、長年家族を捨てて生きてきた父親が、人生の終盤に差しかかり、再び家族と向き合おうとする旅を描いた静かなロードムービーである。突然現れた父と息子のぎこちない再会は、やがて失われた時間を埋めるように、家族それぞれの関係を結び直していく。病や老いを抱えた身体、言葉にならない後悔、そして不器用な愛情――それらが交錯する中で、人はどのようにして赦しへと至るのかが問われる。華やかさはないが、人生の終章における「やり直し」の可能性を静かに照らし出す作品である。
2018年3月29日


開院三周年を迎えて
医療はしばしば「人を救う確実な技術」として期待されるが、その内実はきわめて人間的で不確実な営みである。
精神科医療においては特に、診断や治療の正確さだけではなく、患者と医療者のあいだに生まれる関係性そのものが治療の一部となる。そのため医師の年齢、経験、価値観、さらには人生そのものが診療に影響を及ぼすことも少なくない。精神科医自身がまた、有限な時間を生きる存在である以上、患者の人生すべてを引き受けることはできず、できるのはあくまで「その時点での支援」にとどまる。
本稿では、精神科医療をめぐる臨床経験の記録を手がかりに、医師という職業の限界と、現実的な支援の意味を考える。
2018年3月29日


クロワッサンで朝食を(仏蘭西・エストニア・白耳義 2012年)
老いとは単なる衰退ではなく、関係性の再編を迫られる時間でもある。人は年齢を重ねるほど、身体的な自由を失う一方で、他者との距離感や依存の形を見直さざるを得なくなる。映画『クロワッサンで朝食を』(2012年)は、エストニアからパリへ渡った女性と、孤独な老婦人との出会いを通して、「ケアする者」と「ケアされる者」という単純な役割を揺さぶる物語である。
そこでは、親の死を経て空洞化した人生に再び意味を見出そうとする移民女性と、孤高を装いながらも他者を拒みきれない老婦人が、衝突と摩擦を繰り返しながら関係を築いていく。クロワッサンという日常的な食べ物は、単なる嗜好品ではなく、文化・階級・孤独・記憶の象徴として機能する。人は他者なしには生きられないが、同時に他者を受け入れることにも痛みが伴う。その矛盾の中で、わずかな共感が関係の回復を可能にする過程が描かれている。
2018年2月24日


開院二周年を迎えて
医療の現場は、単に病気を治療する場所ではなく、それぞれの人生が交差する場でもある。定年後に新たな挑戦として開院した小さなクリニックには、十代から八十代まで、実に多様な背景を持つ人々が訪れる。不眠やうつ、認知症といった心の問題だけでなく、進学や就職、退職、介護といった人生の節目が、複雑に絡み合いながら現れてくる。
診察室で交わされる趣味の話や日常の断片は、単なる雑談ではない。それは患者の生活の質や意欲を測る重要な手がかりであり、ときに心の不調の兆しを映し出す指標ともなる。心と身体は切り離せるものではなく、生活習慣病や整形外科的疾患とも密接に関係しながら、全体としての健康を形作っている。
また、高齢化が進む現代においては、認知症や介護の問題が家族全体に影響を及ぼし、医療は本人だけでなく周囲の支援も含めた広がりを持たざるを得ない。診察室での出会いと別れを重ねながら、限られた時間の中でどれだけ回復に寄与できるのか――その問いは、医師自身の生き方とも重なっていく。
人生を「海図のない航海」と捉えるならば、医療とはその航海に寄り添う小さな灯りのようなものなの
2017年5月5日


働き方改革に思う
働き方改革という言葉が掲げられて久しいが、その実態は本当に労働者の健康と生活を守る方向に進んでいるのだろうか。長時間労働の是正が叫ばれる一方で、現場では依然として過重労働や睡眠不足が常態化し、それが心身に深刻な影響を及ぼしている。
東日本大震災後の復興や原発事故対応といった極限状況においても、労働負荷の増大がうつ病や自殺を招いた事例が報告されている。これは特殊な状況に限らず、日本社会全体に通底する構造的問題を映し出していると言えるだろう。
うつ病と自殺の関係は深く、その背景には睡眠障害や慢性的なストレスが存在する。特に長時間労働による睡眠不足は、発症リスクを高める重要な要因であることが明らかになっている。さらに、失業や不安定な雇用環境といった社会的要因も重なり、人々の生存基盤そのものを揺るがしている。
こうした現実を踏まえると、働き方改革は単なる制度変更ではなく、「人間をどう扱うか」という根本的な問いに向き合う必要がある。生産性や効率の裏側で失われているものに目を向け、労働と健康の関係を再構築することが求められている。
2017年3月11日


『ロイヤルアフェア 愛と欲望の王宮』(丁抹 2012年)
映画 ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮 は、18世紀後半のデンマーク王室を舞台に、歴史上の実話をもとにした壮大な宮廷劇である。精神を病んだ国王クリスチャン7世、その侍医として登場する野心家ストルーエンセ、そして王妃カロリーネとの禁断の関係が、政治改革と個人の欲望の交錯の中で描かれていく。啓蒙思想に影響を受けたストルーエンセは、国の近代化を進めようとするが、権力構造の壁と宮廷内の対立により、その理想は次第に追い詰められていく。
本作は単なる歴史ロマンスではなく、「改革」と「反動」、「理想」と「現実」が常に衝突する政治の本質を映し出す。また同時に、権力の中枢においても人間の感情や欲望が決定的な力を持つことを示している。国家や制度が変わっても、人間の構造そのものは容易には変わらないという冷徹な視点が貫かれている。
2012年4月27日


『パパの木』 (濠太剌利・仏蘭西 2010年)
突然の死は、残された家族の時間を止めてしまう。オーストラリア・フランス合作映画 パパの木 は、父親の急逝によって深い喪失感に包まれた家族が、それぞれの形で悲しみと向き合い、再生へと歩み出す過程を描いた作品である。母は抑うつ状態に陥り、娘は父の魂が宿ると信じる大きな木にすがる。現実を受け入れようとする者と、記憶にとどめようとする者との葛藤は、喪失体験に伴う心の揺れを象徴している。
人は大切な存在を失ったとき、否認、怒り、抑うつなどの段階を経ながら、少しずつ現実を受け入れていく。本作は、その過程を美化せず、衝突や迷いを含めて丁寧に描くことで、家族の絆と回復力の本質を浮かび上がらせる。悲しみを乗り越えるとは忘れることではなく、新たな関係性を築くことなのだと静かに語りかける。
2010年6月1日
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