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院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


リスボンに誘われて(2012年、独逸・瑞西・葡萄牙)
人はどれほど自分自身を生きているのでしょうか。リスボンに誘われては、一冊の本との出会いをきっかけに、人生を見つめ直す旅へと踏み出す男の物語です。主人公ライムントを演じるジェレミー・アイアンズは、過去と現在が交錯する中で、他者の人生を辿りながら自らの内面と向き合っていきます。独裁体制下の歴史や人間関係の機微を背景に、「生きられなかったもう一つの人生」への問いが静かに響きます。美しいリスボンの街並みとともに描かれるのは、誰もが抱える時間と選択の重みです。
2025年6月9日


ロビン・ウィリアムズの死を悼む
2014年8月11日、名優ロビン・ウィリアムズが63歳でこの世を去りました。多彩な演技と圧倒的な話術で人々を魅了し続けた彼は、コメディからシリアスまで幅広い役柄を自在に演じ分け、「言葉の力」を体現した存在でした。その一方で、内面には深い葛藤を抱えていたとも言われています。本稿では、数々の名作とともに、彼が残した光と影、その存在の大きさを振り返ります。
2025年6月6日


人生は威厳ある老いへの旅
老いは避けることのできない人生の帰結でありながら、多くの人にとって受け入れがたい現実でもある。若さや活力を価値とする社会の中で、老いはしばしば衰えや喪失として捉えられる。しかし、老いとは単なる終わりではなく、これまでの人生を見つめ直し、意味づける時間でもある。野いちごは、老学者が旅の中で過去と向き合い、記憶と現実が交錯する中で自己を再認識していく姿を描く。死を意識するからこそ浮かび上がる人生の本質――老いとは、威厳をもって生を引き受けるための最後の旅路なのかもしれない。
2025年4月10日


シンデレラマン(2005年 アメリカ)
経済的危機は、個人の努力や才能とは無関係に生活基盤を奪い、人々を社会の周縁へと押しやる。特に世界大恐慌のような歴史的な不況は、失業や貧困を通じて多くの家庭の尊厳を揺るがした。ロン・ハワード監督の映画『シンデレラマン』は、そうした時代に実在したボクサー、ジム・ブラドックの人生を描き出している。一度は故障と不況によってリングを離れ、肉体労働で家族を支える日々に追い込まれながらも、再びチャンスを得て世界王者へと駆け上がる姿は、単なるスポーツ成功譚ではない。それは、失業と貧困という社会的現実の中で、人間がいかに尊厳を保ち直すかという問いでもある。
2025年4月2日


シービスケット(2003年 アメリカ)
1930年代のアメリカ、大恐慌のただ中で、人々は生きる希望のかけらを必死に探していた。映画『シービスケット』は、実在した競走馬と、それを取り巻く人々の物語を通して、経済的困窮と再生の可能性を描く群像劇である。自動車産業の発展によって仕事を失った者、家族を失い心に傷を抱えた者、そして才能を信じられながらも報われない若者たち。それぞれの人生が交錯しながら、一頭の小さな競走馬シービスケットに希望が託されていく。しかしその成功は単なるサクセスストーリーではなく、時代の不安と市場原理の残酷さをも同時に浮かび上がらせる。人は何に救いを求め、何に裏切られるのかが問われている作品である。
2025年3月19日


第四十四回 パパの木(2010年 オーストラリア・フランス合作)
人は、失った存在を完全に手放すことができず、象徴や記憶の中にその姿を見いだそうとする。一方で、この世界に完全なものは存在せず、どんな創造物や制度にも必ず欠点がある。喪失と不完全性という二つの現実の中で、人はどのように生きていくのか。
映画『パパの木』は、突然父を失った家族が、大樹にその存在を感じ取りながら再生していく姿を描く。一方、イソップ寓話集の「ゼウス、プロメテウス、アテナとモーモス」は、あらゆるものに欠点を見出す人間の視点を通じて、完全な存在があり得ないことを示している。両者は異なる形を取りながらも、人間が不完全な現実に意味を与えつつ生きる姿を浮き彫りにする。
2025年2月12日


何とか越えたい中年危機
人生の折り返し地点ともいえる中年期は、多くの人にとって大きな転機となります。仕事上の限界、家族関係の変化、そして大切な人との別れ――さまざまな「喪失」が重なることで、これまで築いてきた自己のあり方が揺らぐことも少なくありません。
本稿では、映画『ミルドレッド』や『フェイク』を手がかりに、中年期に訪れる危機とその乗り越え方について考えます。喪失の中でなお生きる意味を見出し、それぞれのかたちで再出発していく人々の姿から、人生の折り返し地点ともいえる中年期は、多くの人にとって大きな転機となります。仕事上の限界、家族関係の変化、そして大切な人との別れ――さまざまな「喪失」が重なることで、これまで築いてきた自己のあり方が揺らぐことも少なくありません。
本稿では、映画『ミルドレッド』や『フェイク』を手がかりに、中年期に訪れる危機とその乗り越え方について考えます。喪失の中でなお生きる意味を見出し、それぞれのかたちで再出発していく人々の姿から、新たな生き方を探ります。
2025年1月22日


暦の節目、新たに生きよう
終わりの時代に、人は何を選ぶのか。
映画『マトリックス』『ストレインジ・デイズ』が描いた終末的世界観を手がかりに、本稿では混迷の時代における人間の意識と希望を考察します。特別な力がなくてもできること――「新たに生きる」決意に目を向けます。
2025年1月15日
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