top of page
院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


第五十二回 リリーのすべて(2015年 英•米•独映画)
『リリーのすべて』は、トランスジェンダーとして生きる決断をした人物と、それを受け入れようとする妻の姿を描いた物語である。性の自己認識と人間のアイデンティティ、そして理解と愛のあり方を静かに問いかける作品である。
2025年9月26日


第五十回 世界にひとつの金メダル(2013年仏蘭西・加奈陀合作)
人はしばしば、自らの意思で進んでいると思いながら、実は見えない力に導かれているのかもしれない。イソップ寓話にある「暴れ馬に乗った男」の話は、その象徴的な一例である。映画『世界にひとつの金メダル』は、暴れ馬ジャップルーと若き騎手ピエールの軌跡を通して、衝動や迷いに翻弄されながらも、自らの進む道を見出していく過程を描く。挫折、非難、別れ――それらを経てなお、人は何を拠りどころに再び立ち上がるのか。本作は、人と馬の関係を超えて、「自分の人生の手綱を誰が握っているのか」という根源的な問いを投げかける。
2025年8月20日


第四十九回 炎のランナー(1981年 英国)
才能に恵まれた者が必ずしも勝者になるとは限らない――イソップ寓話「亀と兎」が示すこの普遍的な教訓は、時代を超えて多くの人の心に響いてきた。
映画『炎のランナー』は、1924年パリ五輪に挑んだ若者たちの実話をもとに、努力と信念、そしてそれぞれの価値観に忠実に生きる姿を描き出す。差別に抗い勝利を目指す者、信仰を貫く者――その歩みは決して平坦ではないが、揺るがぬ意志が人生を切り拓いていく。現代に生きる私たちにも「どう走るか」を問いかけてくる。
2025年7月31日


第四十八回 リバー・ランズ・スルー・イット(1992年・米国)
時間をどう生きるかという問いは、人間の行動原理を大きく左右する。
イソップ寓話「蟻とセンチコガネ」は、余剰のある季節に備えた者と、享楽のうちに過ごした者の対比を通して、未来志向の合理性を強く教える物語である。
一方、映画『リバー・ランズ・スルー・イット』は、フライ・フィッシングを媒介として、兄弟それぞれの生き方と喪失、そして不可逆に流れ続ける時間そのものを描き出す作品である。そこでは単なる勤勉と怠惰の対立ではなく、「備える人生」と「流れに身を委ねる人生」が交差し、どちらも一面的には裁ききれない深みを帯びていく。人生とは蓄積か、それとも流動か――その問いが投げかけられている。
2025年6月26日


第四十七回 コヨーテ・アグリー(2000年・米国)
人はなぜ恥ずかしさを感じ、なぜその瞬間に顔を赤らめるのか。イソップ寓話「赤面の起源」は、善悪の区別が曖昧だった時代に、神が人間に“恥じる能力”を与えたという象徴的な物語である。そこでは赤面とは弱さではなく、むしろ倫理の証として描かれる。一方、映画『コヨーテ・アグリー』は、舞台恐怖に悩む女性が、自己表現への恐怖と向き合いながら、音楽と人間関係を通して自己を回復していく過程を描いた作品である。人前に立てない恐怖、声が出ない沈黙、そして一瞬の光の中で取り戻される自己。恥ずかしさとは抑圧ではなく、むしろ自己と他者の境界が最も鋭敏になる瞬間なのかもしれない。
2025年5月30日


第四十六回 復活の日(1980年 日本)
病状の経過が「良い按配」と説明されながら、実際には死に向かっているというイソップ寓話の逆説は、言葉と現実の乖離を鋭く突いている。
医師の楽観的な評価が必ずしも回復を意味しないように、人間はしばしば「良い兆候」という言葉に安心し、事態の本質を見誤ることがある。
映画『復活の日』(1980年 日本)は、冷戦下の軍事ウイルスが世界規模のパンデミックを引き起こし、人類が極限状況へと追い込まれていく過程を描く。そこでは医療や科学の進歩すら制御不能な現実に直面し、「予測」と「実際」のずれが文明全体の運命を左右することが示される。
寓話と映画は共通して、私たちが「安心」と呼ぶ判断の危うさを浮かび上がらせている。
2025年4月25日


第四十五回 ベイブ(1995年濠太剌利・米国)
人はしばしば、自らの立場や都合によって他者の価値を決めてしまう。
イソップ寓話「仔豚と羊」が示すように、同じ「捕らえられる」状況でも、その意味は全く異なる。映画『ベイブ』は、食べられる運命にある子豚が、牧羊犬の役割を担うという逆転の物語を通して、「存在意義」と「共生」のあり方を優しく問いかける作品だ。コロナ禍や
社会不安が続く現代において、命の選別や差別が浮き彫りになる中、本作は他者を尊重し合う視点の大切さを静かに語りかける。無垢な子豚の成長物語でありながら、その根底には社会構造への深い示唆が込められている。
2025年3月25日


第四十四回 パパの木(2010年 オーストラリア・フランス合作)
人は、失った存在を完全に手放すことができず、象徴や記憶の中にその姿を見いだそうとする。一方で、この世界に完全なものは存在せず、どんな創造物や制度にも必ず欠点がある。喪失と不完全性という二つの現実の中で、人はどのように生きていくのか。
映画『パパの木』は、突然父を失った家族が、大樹にその存在を感じ取りながら再生していく姿を描く。一方、イソップ寓話集の「ゼウス、プロメテウス、アテナとモーモス」は、あらゆるものに欠点を見出す人間の視点を通じて、完全な存在があり得ないことを示している。両者は異なる形を取りながらも、人間が不完全な現実に意味を与えつつ生きる姿を浮き彫りにする。
2025年2月12日
カテゴリー一覧
bottom of page

