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院長コラム
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院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


第十六回 スティング(1973年 米国)
人間社会には、努力や勤勉さだけでは説明できない「欲望の構造」が存在する。他者の成果を羨み、利益を奪おうとする心理は、時代や文化を超えて繰り返されるテーマである。イソップ寓話「蟻」は、その原初的な形を示している。蟻となった人間は、姿を変えてもなお他者の収穫を盗み続ける存在として描かれ、欲望の本質的な不変性を象徴する。
映画『スティング』(1973年)は、この寓話的構造を詐欺と復讐の物語として精緻に描き出した作品である。騙し合いの連鎖の中で、登場人物たちは「正義」や「復讐」を掲げながらも、実際にはさらに大きな仕掛けの中で操られていく。そこでは善悪の境界すら曖昧となり、知恵と欺瞞が同一平面で交錯する。
こうした構造は現実社会にも重なる。AIJ投資顧問事件のように、巨額の資金が巧妙な仕組みによって吸い上げられ、被害者は回復の見通しも立たないまま精神的なダメージを抱える。詐欺は単なる犯罪ではなく、信頼という社会基盤そのものを揺るがす現象でもある。寓話と映画、そして現実の事件は、欲望と欺瞞がいかに形を変えながら繰り返されるかを示している。
2022年11月7日


第十五回 タイタニック(1997年 米国)
人生はしばしば航海に喩えられる。順風満帆に見える旅路であっても、ひとたび嵐に遭遇すれば、その行方は容易に揺らぐ。古代の寓話が示すように、人は危機を脱した後ほど油断しやすく、本当の意味での備えや慎重さは試練の最中だけでなく、その後にも求められる。
映画『タイタニック』は、豪華客船の沈没という歴史的悲劇を背景に、身分や階層の違いが生死を分ける現実を描き出した作品である。ジャックとローズの恋愛は象徴的でありながら、その背後には、同じ船に乗りながらも決して交わることのない社会構造が横たわっている。
現実の災害においても、命が助かった後に待ち受けるのは、必ずしも安堵ではない。生活基盤の喪失や将来への不安は、長く心に影を落とす。生き延びることと、生き続けられることは同義ではないのである。だからこそ、危機を免れた後も含めて、人間はどのように生を支えていくのかを考え続けなければならない。
2022年9月27日


第十四回 天井桟敷の人々(1944年 仏関西)
人は言葉だけで他者と理解し合っているわけではない。視線やしぐさ、沈黙といった非言語的な表現は、ときに言葉以上に豊かな感情を伝える力を持っている。
映画『天井桟敷の人々』は、19世紀パリの劇場を舞台に、道化師バティストの純粋な愛と人間関係の機微を描き出す名作である。言葉を発さないパントマイムによって心情を表現する彼の姿は、「伝える」とは何かを根源から問いかけてくる。一方で現代社会では、「空気が読めない」とされる人が増えているとも言われる。感情の機微を読み取る力が弱まることは、人間関係の摩擦や孤立を生む要因にもなりうる。過剰に読みすぎるのも問題だが、まったく感じ取れないこともまた課題である。本作は、愛や嫉妬、欲望といった普遍的な感情を通して、人間理解の本質とその難しさを静かに映し出している。
2022年9月15日


第十三回 市民ケーン(1941年)
人間は誰しも、自分の力で世界を動かしているという感覚と、他者なしには生きられないという現実の間で揺れ動く存在である。この二つの錯覚について、ラ・ロシュフコーは「自分だけで生きられると思う者も、自分なしには世の中が回らないと思う者も、どちらも誤っている」と指摘した。
市民ケーンは、新聞王ケーンの栄光と崩壊を通して、権力と孤独、そして自尊心の行方を描いた映画史上の名作である。彼は巨大な報道機関を築き上げ、政治的野心と私的欲望の双方を拡大させていくが、その過程で人間関係は次第に崩壊していく。
栄光の頂点に立ちながらも、最後には誰にも理解されることなく孤独に死を迎えるケーンの姿は、権力の本質と人間の内的空虚を鋭く映し出している。
2022年8月17日


第十二回 モダン・タイムス(1936年)
モダン・タイムス(1936年)は、チャールズ・チャップリンが近代工業社会の矛盾を鋭く風刺した代表作である。機械化された工場で単調な作業に追われる主人公チャーリーは、やがて精神的に追い詰められ、社会の流れからはじき出されていく。
本作は、効率と生産性を最優先する産業社会の中で、人間が「歯車」と化していく現実を描き出す。その一方で、自由を求めることは不安定な生活や貧困と隣り合わせでもあるという、根源的なジレンマを提示している。
古代イソップ寓話にある「自由の道」と「奴隷の道」の比喩が示すように、人間は常に安定と自由の間で揺れ動く存在である。本作は80年以上前の作品でありながら、現代の労働観や生き方にも深い問いを投げかけ続けている。
2022年7月27日


第十一回 チャイナ・シンドローム(1979年)
巨大災害は自然の猛威として語られることが多い。しかし、その背後には人間の判断や制度の不備が重なっている場合も少なくない。映画 チャイナ・シンドローム は、原子力発電所の事故をめぐる報道と隠蔽の構造を描き、技術と社会の危うい関係を浮き彫りにした作品である。
公開直後に実際の原発事故が起きたことで現実味を帯びたこの物語は、安全神話のもろさと、組織が不都合な真実を隠そうとする心理を鋭く突いている。自然災害と技術災害が複合的に重なった東日本大震災と原発事故は、その問題を現実のものとして突きつけた。
イソップ寓話が示すように、災厄の原因を表層だけで語ることはできない。自然の力だけでなく、それを取り巻く人間の選択と責任を見つめ直すことが、これからの社会に求められている。
2022年7月4日


第十回 風と共に去りぬ(1939年)
人は他人の欠点には敏感でありながら、自分の弱さや過ちにはなかなか気づけない。この普遍的な人間の性質は、イソップ寓話「振分け袋」にも描かれている。
映画 風と共に去りぬ は、激動の南北戦争時代を背景に、強烈な個性を持つ女性スカーレットの生き方を通じて、その心理を鮮やかに映し出す。彼女は自らの魅力と欲望に従い、周囲の人々を巻き込みながら突き進むが、真に大切なものには最後まで気づけない。その姿には、自己愛性パーソナリティ障害 にも通じる自己中心的な傾向が見て取れる。
過剰な自己愛は、人間関係の歪みや孤立を招きかねない。一方で、適度な自己愛と他者への配慮のバランスこそが、成熟した人間関係の基盤となる。本作は、華やかな物語の裏で、人が自分自身を見つめ直すことの難しさと重要性を静かに問いかけている。
2022年6月13日


第九回 34丁目の奇跡(1994年 米国)
「サンタクロースは本当にいるのか」。子どもの頃に誰もが一度は抱くこの問いは、大人になるにつれて現実の中で忘れ去られていく。
しかし、映画『34丁目の奇跡』は、その「信じる心」の意味を改めて問い直す。自らをサンタクロースと名乗る老人クリスの存在は、周囲の人々に戸惑いと混乱をもたらしながらも、やがて心の奥にある純粋な願いや希望を呼び覚ましていく。合理性や証拠が重視される現代社会において、「信じる」という行為は時に非合理と見なされるが、人の心を支える重要な力でもある。
本作は、疑うことに慣れてしまった大人たちに対し、信頼や想像力の価値を訴えかける。夢や希望を持つことが、人間らしさを保つ上でいかに大切かを教えてくれる作品である。
2022年6月6日
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