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院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


適切な助言難しい嫁姑問題
家族という最も近い関係ほど、感情の摩擦は複雑になる。嫁と姑の対立は、単なる性格の不一致ではなく、世代、価値観、そして生活の積み重ねが交差する問題でもある。そこでは「正しい助言」が必ずしも機能するとは限らず、むしろ語ることでしか保てない均衡が存在する。映画フライド・グリーン・トマトは、閉塞した日常の中で抑圧された女性が他者の語りに触れることで、自らの生き方を取り戻していく過程を描く。声を上げることと、誰かの声に耳を傾けること。その間にある揺らぎこそが、家族関係の現実を映し出している。
2025年4月8日


感染症の恐怖と闘う人たち
感染症は単なる医学的問題ではなく、人間の心理や社会の構造そのものを揺るがす現象でもある。ウイルスや細菌は身体を侵すだけでなく、恐怖や偏見を通じて人と人との関係性にも深い影響を与える。フィラデルフィアは、エイズをめぐる差別と法的闘争を通して、社会がいかに「見えない恐怖」によって倫理を揺るがされるかを描いた作品である。感染症は医療の問題であると同時に、人間の価値観や社会的包摂のあり方を問う試金石でもある。恐怖と向き合うとは、病そのものだけでなく、それを取り巻く社会のまなざしとも対峙することなのだ。
2025年4月7日


「逆境」対策に周囲の支えも
いじめや虐待、孤立といった逆境体験は、個人の心に深い傷を残すことがある。その影響は一時的なストレスにとどまらず、不登校や引きこもり、自傷行為など、長期的な生活機能の低下へとつながることも少なくない。しかし、同じような逆境を経験しても、回復に向かう人とそうでない人が存在する。その差を生む要因の一つが「周囲からの支え」である。スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『カラーパープル』は、暴力と抑圧の中に置かれた女性が、わずかな人間関係のつながりを支えに再生していく過程を描いている。逆境そのものを消すことはできなくとも、それを乗り越える力は関係性の中で育まれることが示唆される。
2025年4月4日


シンデレラマン(2005年 アメリカ)
経済的危機は、個人の努力や才能とは無関係に生活基盤を奪い、人々を社会の周縁へと押しやる。特に世界大恐慌のような歴史的な不況は、失業や貧困を通じて多くの家庭の尊厳を揺るがした。ロン・ハワード監督の映画『シンデレラマン』は、そうした時代に実在したボクサー、ジム・ブラドックの人生を描き出している。一度は故障と不況によってリングを離れ、肉体労働で家族を支える日々に追い込まれながらも、再びチャンスを得て世界王者へと駆け上がる姿は、単なるスポーツ成功譚ではない。それは、失業と貧困という社会的現実の中で、人間がいかに尊厳を保ち直すかという問いでもある。
2025年4月2日


害なき妄想、責められぬが・・・
人間の心は、現実そのものだけで構成されているわけではない。むしろ現実を補うかたちで、誇大な自己像や願望充足的な物語が生み出されることがある。精神医学における妄想は、必ずしも不安や苦痛を伴うとは限らず、むしろ本人にとっては極めて確かな現実として体験される場合もある。1995年の映画『ドンファン』では、数多くの恋愛遍歴を語る男と、それを受け止めきれない精神科医の姿が描かれ、虚構と真実の境界が揺さぶられていく。こうした「信じたい物語」は、時に周囲に混乱をもたらす一方で、害を伴わない限りにおいては、人間の想像力や希望の一形態として理解することも可能である。
2025年4月1日


第四十五回 ベイブ(1995年濠太剌利・米国)
人はしばしば、自らの立場や都合によって他者の価値を決めてしまう。
イソップ寓話「仔豚と羊」が示すように、同じ「捕らえられる」状況でも、その意味は全く異なる。映画『ベイブ』は、食べられる運命にある子豚が、牧羊犬の役割を担うという逆転の物語を通して、「存在意義」と「共生」のあり方を優しく問いかける作品だ。コロナ禍や
社会不安が続く現代において、命の選別や差別が浮き彫りになる中、本作は他者を尊重し合う視点の大切さを静かに語りかける。無垢な子豚の成長物語でありながら、その根底には社会構造への深い示唆が込められている。
2025年3月25日


効果と副作用、薬は「両刃の剣」
医療は人間の苦しみを和らげ、回復へと導くために発展してきた。しかしその一方で、治療そのものが新たな苦痛や副作用を生み出すという現実もまた存在する。「クスリ」を逆さに読めば「リスク」であるという言葉は、その本質を象徴している。朝日新聞の論考は、精神科医療を中心に、薬がもたらす光と影を描き出す。映画『レナードの朝』を題材に、長く眠り続けた患者が薬によって一時的に目覚める奇跡と、その後に訪れる副作用による揺り戻しを通じて、医療が抱える根本的なジレンマを浮き彫りにしている。治療とは単なる成功や失敗ではなく、人間の時間と尊厳を揺さぶる連続的な営みであることが示されている。
2025年3月24日


シービスケット(2003年 アメリカ)
1930年代のアメリカ、大恐慌のただ中で、人々は生きる希望のかけらを必死に探していた。映画『シービスケット』は、実在した競走馬と、それを取り巻く人々の物語を通して、経済的困窮と再生の可能性を描く群像劇である。自動車産業の発展によって仕事を失った者、家族を失い心に傷を抱えた者、そして才能を信じられながらも報われない若者たち。それぞれの人生が交錯しながら、一頭の小さな競走馬シービスケットに希望が託されていく。しかしその成功は単なるサクセスストーリーではなく、時代の不安と市場原理の残酷さをも同時に浮かび上がらせる。人は何に救いを求め、何に裏切られるのかが問われている作品である。
2025年3月19日


快と不快を併せ持つ賭け事
人はなぜ「一発逆転」という幻想に惹きつけられるのだろうか。ギャンブルは単なる娯楽ではなく、勝利の高揚と敗北の苦痛が交錯する強烈な体験である。その刺激は脳の快・不快の回路を揺さぶり、時にアルコールや薬物と同様の依存状態を引き起こす。映画『のるかそるか』(1989年)や『ディーラーズ』(1989年)は、庶民のささやかな賭けから金融の巨大な投機まで、異なるスケールでの“賭け”を描き出している。そこに共通するのは、勝てば解放、負ければ破滅という極端な振幅であり、人間の欲望と不安がむき出しになる構造である。安全で安定した生活を望みながらも、同時に危険な賭けに心を奪われる――その矛盾こそが現代人の内面を象徴している。
2025年3月18日


熱意見せぬ友 揺らぐ医学生
医師を志す若者は、多くの場合「人の役に立ちたい」という志を胸に医学の道へ進みます。しかし、現実の環境とのギャップに直面したとき、その理想は大きく揺らぐことがあります。価値観の違いや周囲との温度差は、ときに強い葛藤を生み、不眠などのかたちで表面化することも少なくありません。本記事では、一人の医学生の体験と映画の物語を手がかりに、理想と現実のはざまで揺れる心と、医師に求められる本質について考えます。
2025年3月17日
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