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院長コラム
—掲載媒体から探す—
院長はこれまで、新聞連載や寄稿記事、専門誌、企業の社内報など、さまざまな媒体で執筆を続けてきました。
映画や文学を題材としたエッセイをはじめ、こころの健康や精神疾患、人間関係、社会問題などについて、それぞれの媒体の読者に向けて発信してきました。時代や読者層が異なっても、人間のこころへの関心は一貫しています。
このページでは、これまでに掲載されたコラムを媒体ごとにまとめています。それぞれの媒体でどのようなテーマが語られてきたのかをたどりながら、お読みいただければ幸いです。


モダン・タイムス(1936年 アメリカ)
人間は機械の歯車として生きるべき存在なのか、それとも自由な意思を持つ存在なのか。チャールズ・チャップリンの映画『モダン・タイムス』は、大恐慌下のアメリカを舞台に、工業化された労働環境の中で翻弄される一人の職工チャーリーの姿を通して、近代社会の矛盾を鋭く描いた作品である。単調な労働によって精神を蝕まれ、失業と投獄を繰り返す彼の人生は、制度と個人の関係が逆転した世界の象徴でもある。しかしその中で出会う少女との逃避行は、わずかながらも人間的自由の光を感じさせる。そこには、効率と管理の時代における人間の尊厳が問われている。
2025年5月23日


ガラスの動物園(1987 米国)
人間の記憶は、時にガラス細工のように繊細で壊れやすい。テネシー・ウィリアムズの戯曲を原作とする『ガラスの動物園』は、大恐慌期のアメリカ・セントルイスを舞台に、現実の貧困と精神的な閉塞の中で生きるウィングフィールド一家の姿を描いた作品である。家族はそれぞれに異なる夢と孤独を抱えながら、狭い空間の中で静かに崩壊へと向かっていく。母アマンダの過剰な期待、姉ローラの内向的な幻想、そして語り手トムの逃避願望。そのすべてが交錯する中で、過去は美化され、現在は重く沈み、未来は見えないまま宙吊りにされている。そこには「生きること」そのものの痛みが静かに刻まれている。
2025年5月14日


ウォール街(米国 1987年)
富は人を自由にするのか、それとも縛りつけるのか。映画『ウォール街』(1987年)は、若き証券マンと伝説的投資家の関係を通して、金融資本主義の本質を鋭く描いた作品である。インサイダー取引や企業買収といった冷徹なマネーゲームの世界では、倫理よりも利益が優先され、成功はしばしば道徳的な境界線を踏み越えることで成立する。イソップ寓話や大恐慌を背景に描かれる他の物語群と同様、本作もまた「人間は何のために働き、富を求めるのか」という根源的な問いを投げかけている。欲望に飲み込まれた個人が、どの地点で自らを取り戻すのかが、作品全体の核心となっている。
2025年5月8日


第四十六回 復活の日(1980年 日本)
病状の経過が「良い按配」と説明されながら、実際には死に向かっているというイソップ寓話の逆説は、言葉と現実の乖離を鋭く突いている。
医師の楽観的な評価が必ずしも回復を意味しないように、人間はしばしば「良い兆候」という言葉に安心し、事態の本質を見誤ることがある。
映画『復活の日』(1980年 日本)は、冷戦下の軍事ウイルスが世界規模のパンデミックを引き起こし、人類が極限状況へと追い込まれていく過程を描く。そこでは医療や科学の進歩すら制御不能な現実に直面し、「予測」と「実際」のずれが文明全体の運命を左右することが示される。
寓話と映画は共通して、私たちが「安心」と呼ぶ判断の危うさを浮かび上がらせている。
2025年4月25日


ゴッドファーザー(1972年 アメリカ)
権力は合法と非合法の境界を越えながら維持されることがある。映画『ゴッドファーザー』(1972年 アメリカ)は、シチリア系移民社会を背景に、マフィア組織の家族的結束と権力継承の構造を描いた作品である。そこでは暴力は単なる犯罪行為ではなく、秩序を維持し、交渉を成立させるための手段として機能している。イソップ寓話に見られるような「支配と報い」の構造とも響き合いながら、本作は血縁・忠誠・裏切りといった人間関係の本質を浮き彫りにする。大恐慌後の社会不安という歴史的背景の中で、国家と並行するもう一つの秩序が静かに成立していく過程が描かれている。
2025年4月23日


武器なき斗い(1960年 日本)
暴力に対して人は何で抗うことができるのか。映画『武器なき斗い』(1960年 日本)は、治安維持法下の弾圧という重圧の中で、信念と理想を武器に闘った一人の知識人の生涯を描く作品である。科学者として出発した主人公は、社会の不条理と向き合う中で政治の場へと歩みを進め、やがて言論による抵抗を選び取る。だが、その言葉は権力にとって脅威となり、ついには暴力によって封じられる。イソップ寓話が示すように、正しさが必ずしも守られるとは限らない現実の中で、本作は「声を上げること」の意味と代償を問いかける。歴史の中に埋もれがちな個の闘いが、現代にも通じる問題として浮かび上がる。
2025年4月16日


精神科医も心の休養が必要
人の心を支える仕事は、ときに自らの心をすり減らす。医療、とりわけ精神医療の現場では、患者の苦悩に向き合い続けることが、知らず知らずのうちに大きな負担となる。「燃え尽き症候群」という言葉が示すように、献身的であるほど心身の限界に近づいてしまう現実がある。映画『おつむてんてんクリニック』(原題『What About Bob?』)は、休暇中の精神科医が患者に振り回される姿をコミカルに描きながらも、医師と患者の関係性の歪みや、支える側の脆さを浮き彫りにする。支援する者にもまた支援が必要であるという視点は、現代のメンタルヘルスを考える上で欠かせない。
2025年4月14日


人生は威厳ある老いへの旅
老いは避けることのできない人生の帰結でありながら、多くの人にとって受け入れがたい現実でもある。若さや活力を価値とする社会の中で、老いはしばしば衰えや喪失として捉えられる。しかし、老いとは単なる終わりではなく、これまでの人生を見つめ直し、意味づける時間でもある。野いちごは、老学者が旅の中で過去と向き合い、記憶と現実が交錯する中で自己を再認識していく姿を描く。死を意識するからこそ浮かび上がる人生の本質――老いとは、威厳をもって生を引き受けるための最後の旅路なのかもしれない。
2025年4月10日


ひとりぼっちの青春(1970年 アメリカ)
努力すれば報われる――そんな前提が崩れ去るとき、人は何を支えに生きるのか。大恐慌下のアメリカを舞台にしたひとりぼっちの青春は、極限状態の中で生きる若者たちの姿を通して、希望の脆さと現実の残酷さを描き出す。昼夜を問わず踊り続けるマラソン・ダンスという見世物は、単なる娯楽ではなく、貧困と絶望に追い詰められた人々の生存競争そのものである。そこでは努力や忍耐すら搾取の対象となり、人間の尊厳は容易に踏みにじられる。夢や成功を信じることさえ過酷な時代において、人間はどこまで自分を保てるのか――その問いが突きつけられる。
2025年4月10日


有名人多数、うつ病に悩んだ
うつ病は特別な人だけのものではない。むしろ、時代や環境、そして個人の感受性の中で誰もが向き合い得る心の状態である。かつて「内因性精神病」と呼ばれたうつ病は、ストレス社会の進行とともに増加し、その理解も変化してきた。音楽家のピョートル・チャイコフスキーや政治家のウィンストン・チャーチルのように、歴史に名を残す人物たちもまた、うつと向き合っていたとされる。映画心のままには、躁うつの揺れ動く精神状態を描きながら、人間の心の不安定さと、それでも生きていく営みを浮き彫りにする。うつは単なる弱さではなく、人間の深い内面と結びついた現象でもある。
2025年4月9日
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